最終更新日:2022/04/06


古代史を解明する会(解明委員会)

活動記録 バックナンバー 2

解明委員会2021年7月 オンライン開催

2021年7月31日、第8回解明委員会(テーマ:日本人の起源「沖縄の古代歴史の真実は?」)は、13:00 より 17:00 までオンライン開催された。 出席者10名。

資料配布
  • 基本レポートの資料49頁を7月24日に委員会メンバーにネット配布。
  • 港川人の mtDNA 解析記事と沖縄タイムスの DNA 解析の記事に関しては、配布せず、当日その場で提示。
議事は、
  1. 1)丸地より基本レポートとして「沖縄の古代歴史の真実は?」を発表。
  2. 2)関連するトピックスとして、
    1. 読売新聞と朝日新聞に掲載された港川人の mtDNA 解析記事について
    2. それ関連した沖縄タイムスの DNA 解析の記事について
    を紹介し、各々の元となる英文論文を読んで解析した結果を発表した。

発表・説明を受けて、意見が交換された。

1. 基本レポートの内容
  1. 1)「沖縄の古代歴史の真実は?」
    1. ① 日本最古の人骨が続々と発掘される沖縄は、日本人の起源を探る上で極めて重要な地点ですが、現在有力な沖縄の歴史では、沖縄に到来した古代人は絶滅し、沖縄の住人は、縄文時代と弥生以降の歴史年代に九州から移住した人々とされている。この有力な沖縄の歴史が本当なのか、検討した。
    2. ② 沖縄は、日本最古の人骨が続々と発見され、日本人の起源を探る焦点の地域で、フィリピン・日本本土との間にある位置関係を説明。沖縄独自の丸木舟サバニ(現在は板材の剝ぎ舟:構造船)が世界的に優れた船型であったこと及び帆走可能なことから、沖縄諸島の間だけでなく、黒潮の流れを越えた交易を可能とした利器であったことを紹介。1万4千年前に作られた丸ノミ型石斧は丸木舟建造用の専用具であった。
    3. ③ 現在有力な沖縄の歴史は、発見される古代人はある時期に死に絶え、九州島から縄文人・弥生人が南下渡来し、沖縄人になったとするものであることを紹介。人骨に残るハリス線が、「死に絶えた」証拠とされていること、沖縄の土器は九州由来のものであることなどを紹介。
    4. ④ 「死に絶えた」論が成り立たないことを説明。
      • ✧ 最新の人骨発掘結果や、気候・海面高さ・島の面積広大時期、沖縄由来の丸のみ型石斧(丸木舟のサバニの削り出し用石器)の出土、出土した土器の編年の連続、などから証明。
      • ✧ 更に、九州側には、九州から移住したとされる時代には、複数回の巨大火山噴火の結果、住民の絶滅が科学者の一致した意見。複数の火山被害の間の時期に見られる遺跡の文化は、いずれも、本土には無い、南方の文化で、沖縄からの流入が示唆されるもの。
      • ✧ 九州には、人が居なくなり、黒潮を越えて南下する処では無かった。逆に、沖縄から南の文化を持った沖縄人が到来し、九州で文化を開花させ、そこで作られた土器を、沖縄に持ち帰ったとする方が、自然な理解であるとした。
    5. ⑤ DNA遺伝子の関連では、沖縄は縄文人由来のY遺伝子が多く残るが、弥生人由来の遺伝子も一定量存在するが、宮古島に集中ししかも極めて古いことが発表されている。 これは注目に値するとした。更に、宮古島を中心に、古い日本語が、琉球語として残っていることを指摘。
    6. ⑥ 結論として、沖縄の歴史は、現在有力な歴史の主張する「死に絶えた」論は、成り立たず、古代からの人が生き続け、九州や本土に交易・移住などを通じて大きな影響を与えたとした。更に、DNAなどの面では、古いタイプの弥生人が居たものと考えられる点が興味深い疑問点として残された。
  2. 2)港川人のmtDNA解析記事
    • ☑ 読売新聞の記事は「旧石器時代の「港川人」、現代日本人と直接つながらず」とあり、朝日新聞は「ご先祖は、2万年前の港川人? DNA解析、日本人につながる可能性」と正反対の記事を掲載した。上記の発表に関わるため、調べて、追加発表を行った。ニュース・ソースは、英文雑誌に港川人のmtDNAの解析論文が掲載されたとするニュース・リリースらしい。この違いを解明するため、リリースや関連情報及び、英文の記事を入手し、翻訳し検討した結果を紹介した。
      • ☑ 論文は複数著者の共著で、著者間で、結果の解釈に違いがあったものが、正反対の記事となったと推測した。
      • ☑ 港川人のmtDNAは祖先型のハプログループMで、それは、極めて古い東アジア人の祖先集団のものと判明した。余りにも古いタイプのmtDNAで、比較的新しい約2万年前で、アジアの中心から離れた沖縄であることを考ええると、東アジアの祖先型であったことが、著者達には納得が行かず、中途半端な記述と、ニュース・リリースになったものと推測。
      • ☑ 港川人が縄文人に繋がると考えると、余りにも古いタイプのmtDNAのハプロタイプも、「北東アジア人・東南アジア人の共通祖先から極めて古い時代に分化」したと考えると、納得できるもの。核ゲノムも細胞内細胞内小器官のmtDNAのゲノムも同じ結果を示したと云える。
      • ☑ そう考え、論文を見直し、ニュース・リリースと比較してみると、リリースでは概要の系統樹だけを提示していたが、論文には詳細な系統樹があり、祖先型ハプログループMの系統に入るハプログループに属するものを持つ現代の滋賀・長浜市民2千人の内4人居る。沖縄では、比率は多いのではと思われる。又、論文にあるネットワーク系統樹を見ると、祖先型Mから派生した分岐に日本の縄文人や東アジア人が存在し、貴重なmtDNAだったと判る。
      • ☑ 中途半端なニュース・リリースにより、正反対な記事となったが、論文を読み、評価し直すと、朝日新聞の記事が正しいことが判った。
  3. 3)沖縄タイムスのDNA解析の記事
    • ☑ 2014年に沖縄タイムスに記載された記事は、『沖縄の人々、ルーツは「日本由来」南方系説を否定』。以前、この記事の間違いを指摘したが、今回、ベースとなった英文論文を探し、日本語に翻訳し、検討した。
    • ☑ 記事内容は、沖縄本島・八重山・宮古島の人350人のDNAを採取し配列を分析、宮古・八重山の人々の祖先が沖縄本島から移住したかを調べた処、数百年~数千年と推定され、宮古・八重山で発見された最古の人骨の人々ではないことを示したと記し、最古の人骨が、現代人につながらないとした。
    • ☑ ニュース・リリースなど核ゲノムの解析内容と図では、宮古島・八重山・沖縄本島・本土日本人・韓国人・中国人の住人を対比し、類似度は、沖縄本島→宮古島→八重山→本土日本人→韓国人→中国人となることを示し、興味深い結果を示している。
    • ☑ しかし、論文を検討すると、「中国の漢族から琉球人が分岐した」とするモデルを作り、検証し、「沖縄本島から宮古島・八重山に移住した」とするモデルを作り、検証したとしている。
      • ☑ 沖縄人のY遺伝子は、65%は縄文人由来、14%が弥生人由来、17%が漢人由来で、宮古島の住民のY遺伝子は、6%が縄文人由来、94%が弥生人由来との調査結果が出ており、論文のモデル「中国の漢族から琉球人が分岐した」は成り立たない。又、沖縄本島から移住したとするモデルも成り立たない。別のモデルが検討されるべき。
      • ☑ 前述の神澤秀明氏の解析結果によれば、縄文人の祖先から、漢人を含む北東アジア人は分岐しており、逆に沖縄人から漢人が分岐したとのモデルが検証されるべきであった。(それは、4万年以上前になると考えられる。)
      • ☑ 成り立たないモデルで算出した結果は、勿論、信頼できない。ゲノム解析の結果の怖い処は、誤ったモデルでも、それらしい数値が答えとして出てくるところにある。
2. 意見交換
動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
解明委員会⑧ 日本人の起源「沖縄の歴史」 
  1. 1)基本レポート 1時間36分
    https://youtu.be/_UHK5qQt6YU
  2. 2)mtDNA解析記事 読売と朝日 55分
    https://youtu.be/9uMYuXsBYKc
  3. 3)沖縄タイムスのDNA解析記事を否定する 23分
    https://youtu.be/NriKaOW5SdY
➤ 資料✧日本人の起原「沖縄の歴史」
  1. 1)基本レポート「沖縄の歴史の真実は?」PDF
  2. 2)港川人DNA記事 読売と朝日 PDF
  3. 3)沖縄タイムスのDNA日本由来説PDF

解明委員会2021年8月 オンライン開催

2021年8月28日第9回解明委員会(テーマ:弥生時代から古墳時代「神武東征」)は、13:00より16:45オンライン開催された。 出席者 14名。

資料配布
  1. 1)2/27日の「弥生時代~古墳時代」の基本レポートの委員会に引き続き、個別テーマについて実施と云うことで、神武東征について委員の中から発表者を求めた処で、3名の方が発表することになった。
  2. 2)8月18日に開催の案内と共に、飯田氏の資料、8/21日に伊藤氏の資料、8/23日に可児氏の資料を会員に送付。
議事は、
  1. 1)3名の発表者が、各々30-40分間発表を行った。
    1. ① 神武東征の事実解明 可児俊信
    2. ② 神武東征の動画とその前提 伊藤雅文
    3. ③ 神武東征の謎を解く 飯田真理
  2. 2)3名の発表者終了後、質疑応答に入り
    1. ④ 丸地の方から、3者の発表への意見を述べ質問
      • 3名の発表者から各々回答を得た。
    2. ⑤ 参加した委員の方からの質問と回答があった。
1. レポートの内容:
  1. ① 可児俊信さんの「神武東征の事実解明」は、下記をもとに神武東征論を展開した。
    • 文献・・・記紀、先代旧事本紀、魏志倭人伝
    • 考古学の知見・・・集落、土器、稲作、古墳、銅鐸・銅鉾 他
    • 神社由緒
  2. ② 伊藤雅文さんは、
    • 動画に先立ち、前提条件を紹介した。
      • ☑ 日本書紀の年代論の方法論を説明、
      • ☑ 「山幸彦・神武天皇・崇神天皇の同一人物説」
    • 自作の公開されている動画を見せた。
  3. ③ 飯田真理さんは、
    • 以下の順に話をされた。
      • ☑ ニニギ尊の降臨
      • ☑ 神武東征
      • ☑ 邪馬台国の東遷とヤマト王権の成立
    • 飯田さんも、伊藤さん同様に「山幸彦・神武天皇・崇神天皇の同一人物説 」をとる。
    • 饒速日命(ニギハヤヒ)は、神武東征以前にヤマトに天下っており、後継ぎのいなかったニギハヤヒの後継者として、神武はヤマトにに迎えられたとの論を展開した。
2. 意見交換
  • 司会者の丸地から次のような意見と各発表者に質問が出された。
    弥生時代の区分と年代の図を示し、更に、戦傷遺跡分布図・高地性集落分布図・青銅祭器の型毎の年代区分図・各型ごとの分布図等を示し、考古学遺物と年代区分を明示。
    1. ① 可児俊信さんへは、神武東征の時期? 戦傷遺跡・高地性集落等への意見を尋ねた。
    2. ② 伊藤雅文さんへは、伊藤説では、山幸彦・神武天皇・崇神天皇の同一人、初代天皇AD301年即位、天照大神/素戔男尊の生誕年代はAD175/190としている。その前提で、AD57年に金印を授与された倭奴国王をどう考えるのか?などを質問。
    3. ③ 飯田真理さんには、饒速日が大勢の従者を連れて平和裏に大和へ降臨したならば、大和に鉄製品・大型鏡・九州の土器が少ないのは何故か? 等を質問
  • この質問に対して、3人の発表者から回答があった。
  • 又、参加者から、天孫降臨した先の土地の記述に関して、古事記と日本書紀の違いを上げ、この解釈を求めた。飯田さんから明快な回答があった。
動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
弥生時代から古墳時代「神武東征」 解明委員会
  1. 1)神武東征の事実解明 可児俊信 37分
     https://youtu.be/AHUWP3px_FA
  2. 2)神武東征の動画とその前提 伊藤雅文 33分
     https://youtu.be/KU8N9qlN6aU
  3. 3)神武東征の謎を解く 飯田真理 40分
     https://youtu.be/G6ULFYppfj8
  4. 4)意見と質問/質疑応答 1時間22分
     https://youtu.be/iCAIv9VrnQ8
➤ 資料 弥生時代から古墳時代「神武東征」
  1. 5)神武東征の事実解明 可児俊信 PDF 約 2.7MB
  2. 6)神武東征の動画とその前提 伊藤雅文 PDF 約 0.4MB
  3. 7)神武東征の謎を解く 飯田真理 PDF 約 2.4MB
  4. 8)意見と質問/質疑応答 PDF 約 10.8MB

解明委員会2021年9月 オンライン開催

2021年9月25日第10回解明委員会(テーマ:邪馬台国論「唐津上陸説に根拠は有るのか?」)は、13:00より16:55オンライン開催された。 出席者 10名。

資料配布:
9月13日に開催の案内と共に、村上政利さんと丸地の資料を公開。
テーマ:
「唐津上陸説に根拠はあるか?」

3/27日の「邪馬台国論」の『邪馬台国の探し方』基本レポートを継承し、魏の使者の九州上陸地点について検討した。多数の邪馬台国論者は、唐津付近を上陸地点としているが、基本レポートで検討した魏の使者の性格と人数から、唐津説には合理性が無い可能性があり、賛否両論を戦わせる予定だった。
唐津論者が途中で自説を変更し、糸島地区上陸説になり、所期の展開とは異なったものになった。

議事は:
論者の村上さんが、オンライン参加が遅れたため、予定変更し、丸地か説明を行い、その後参加した村上さんが自説の紹介を行った。その後、発表者2名及び参加者の間で、議論が行われた。
1. レポートの内容
  1. ① 丸地のレポートでは、
    • 三国志の記述から、呉と魏の間の戦略外交で、数万人の兵が移動しており大型帆船が使われていたことは明らかで、倭国へ来た魏の使者が、大型帆船を使えた。その前提で、数百人~千人規模の使節団を想定する。ルート・陸行の可否などから唐津上陸は成り立たない。博多湾への上陸が適切な解となる。
    • 現在は水深の浅い博多湾のままでは、大型船の入港が困難だが、古地図・地殻変動(地震・断層)・考古資料などから当時の博多湾は十分な水深を持ち、大型帆船の入港が可能であったことを示した。
    • 新井白石等が唐津上陸の根拠とした古事記・日本書紀の記述について言及し、神功皇后が鮎釣りをした場所を白石は唐津と解釈して唐津説としたが、歴史的観点から見直すと、同一の場所では無いことが判明。唐津説の根拠にならないことを指摘した。
    • 博多上陸説の場合の、邪馬台国所在地や陸行水行の旅程の解釈についても論を述べた。
  2. ② 村上さんのレポートでは、
    • 大型帆船で、大人数の使節が来た場合には、唐津上陸は意味がない。
    • 博多湾上陸は、大型帆船には無理とした。理由は、博多湾を形作る海の中道が、2000年前には砂洲が完成しておらず、海が繋がっており乱流が発生していた可能性大。その場合、入港・停泊が困難。又、博多湾から朝鮮半島への帰還することが、対馬海流で、困難などを挙げた。
    • 魏の使者は、博多湾には上陸せず、糸島半島の西側の船越湾で上陸し、小舟に分乗して、半島の狭い部分を越え、水路・海路を経て太宰府の方へ行ったと推定。これが、帰りも安全なルートだった。
2. 意見交換
  • 狗邪韓國からのルート想定・外海を航海するには平底の船・魏の2回目の使者「張政」の場合のルートと船・湾内での大型帆船の停泊方法 などの論議がおこなわれた。動画は省略します。
動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
邪馬台国論-「唐津上陸説に根拠はあるか?」 解明委員会
  1. 1) 邪馬台国論-「唐津上陸説に根拠はあるか?」 丸地三郎
     https://youtu.be/Nv_jtmn1YaU
  2. 2) 糸島・船越湾上陸説 村上政利
     https://youtu.be/YuwMieh2Ccc
➤ 資料 邪馬台国論-「唐津上陸説に根拠はあるか?」
  1. 1) 邪馬台国論-「唐津上陸説に根拠はあるか?」
     丸地三郎 PDF 13MB
  2. 2) 正規版-「唐津上陸説に根拠は有るのか?」
     村上政利 PDF 1.8MB

解明委員会2021年10月 オンライン開催

2021年10月9日 第11回解明委員会(科学的年代測定法とその適用「年代測定法の相互関係と課題」)は、13:00より15:00オンライン開催された。出席者 10名。

テーマ:「年代測定法の相互関係と課題」

科学的年代測定法について、全容・概要を知りたいとの希望に応えて、測定法の種類・各々の概要・相互関係について、紹介を行う。

1. レポートの内容
  • 丸地から、説明資料を示しながら、科学的年代測定法について、その概要と効果を紹介。
  • 古代史に使われる代表的な3つの方法について紹介。
    • ☑ 概要・特徴
    • ☑ 外の測定法との関連
2. 意見交換
  • 「年輪が怪しいと思っていたが、炭素も酸素も怪しい。判った。」
  • ポイントは、非科学的→情報公開
    • 国民の税金で研究した結果は、国民のもの。情報公開 → 頑張ろう!

などの意見が続いた。

動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
科学的年代測定法とその適用「年代測定法の相互関係と課題」 解明委員会
  1. https://youtu.be/qGTlE4j44DI
➤ 資料 科学的年代測定法とその適用「年代測定法の相互関係と課題」
  1. 1) 「科学的年代測定法」~年輪・炭素14・ 酸素同位とその関連
     丸地三郎 PDF 9.3MB
  2. 2) 委員情報・サバニ・海流の頁紹介 PDF 2.5MB

解明委員会2021年11月 オンライン開催

2021年11月13日 第12回解明委員会(弥生時代から古墳時代 『出雲勢力??』)は、13:00より16:00オンライン開催された。 出席者 10名。

テーマ:「出雲勢力??」
古代日本は、出雲神話や出雲族のこと抜きには検討できない。
記紀には天孫族と出雲族の争いが記載されているが、出雲族の勢力範囲はどの位、広かったのか?
考古学が示す戦争の遺跡や青銅器の分布などから具体的な推定を行う。
出雲勢力の中国・四国から本土への広がりと九州での勢力の広がりが判明すると、「倭国乱」や「神武東征」などの基礎的な判断材料となる。
1.レポートの内容:
  • 丸地から、説明資料を示しながら、紹介を行った。
    • 記紀に記された大和朝廷成立までの出来事の底流となっている天孫族と出雲族の争いがある。
    • 考古学が示す、戦傷遺跡、高地性集落、環濠など争い・戦争を示す証拠が、北九州を中心に見つる。
    • 青銅器の埋納を天孫族に破れた出雲族の祭器を埋めたと想定すると、銅鐸・武器型青銅器などの分布から、出雲の勢力範囲とその広がりが推察できる。
    • 青銅器を墓に副葬した地域を天孫族の勢力範囲とすると、北九州の天孫族と出雲族の勢力範囲が判り、戦傷遺跡から、その衝突状況が推測できる。
    • 王墓の変遷から天孫族の苦難と逃避と最終的勝利が推測できた。
    • その外の考古学的資料や神社の主祭神の分布から、出雲の勢力範囲が北九州から四国・中国・近畿・中部・関東・東北まで広がっていたことが判明した。
    • 中国の史書には「倭国乱」の記述があるが、それは、天孫族と出雲族の北九州を中心とした最後の戦乱であったと推定した。
2. 質疑応答
  • 出雲族は誰か? 同じ弥生人か?
    • ✧ 同じ弥生人だが、やや遅れて来たグループが出雲族。
    • ✧ ニギハヤヒが出雲族側にいるが、彼は天孫族の一人。
  • 出雲系の三輪山・長脛彦などの話は、呪い・怨念として語られている。
    • ✧ 初期の大和朝廷を牛耳っていたのは、出雲族の子孫で、出雲族にとって悪い時代では無かった。その7-8世代後になり、天皇一族が、各地に、天皇一族の子孫を増やし、出雲族と対抗できる勢力になり、今度は、出雲族を排除する風潮ができた。その頃から、出雲の伝承を排除し始め、出雲に関わる伝承を祟り・呪い・怨念で語られる風潮が出て来たのではないだろうか。
  • 「皆殺し」が有ったのか?
    • ✧ 北九州の戦いでは、熾烈な戦いが有ったと考えるが、戦争が終了後に捕虜を逆殺する(中国の戦国の戦いのように)ことは無かったはず。 大和朝廷では、天皇の後継を争って、虐殺が有ったが、中国のような大量虐殺は起きなかったと考えます。
  • 神武東征に関して、神武一族が南九州から少人数で出発し、徐々に力を付けて、大和を攻略したとの考え方があり、9月にもこの説が説かれた。この説をどう思うか?
    • ✧ 南九州に、鉄器が出たとの発掘報告もあるが、詳細に見ると、庄内土器の後期のものと一緒に発掘されており、弥生時代のものでは無く、弥生時代には鉄器が出土しない。鉄器を出土しない地域の勢力が、本日示したように、鉄器を大量に持っている出雲勢力と戦って、勝ったことになり、歴史の法則に逆らった説になっている。神武東征の南九州出発説は成り立たない。
    • ✧ 出雲族の九州での勢力範囲を見ると、熊本付近まで広がっており、武器を持った出雲族の居た熊本を通り抜けて、天孫降臨が、鹿児島に降りたとする説は、現実的には難しい。
動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
弥生時代から古墳時代『出雲勢力??』 第12回解明委員会
  1. 『出雲勢力??』 基本レポート 丸地三郎
    https://youtu.be/wtNEYB046d8
➤ 資料
  1. 『出雲勢力??』 基本レポート 丸地三郎 PDF、約10.6MB。

解明委員会2022年1月 オンライン開催

2022年1月16日 第13回解明委員会(大陸との交流 『タミル語と日本語』)は、13:00より16:00オンライン開催された。 出席者 6名。

テーマ:「タミル語と日本語」
2021年12月に実施したが、回線状態が悪く、残念ながら実施できなかったため、1月に再度実施した。
「日本語 タミル語起源説について」 との題名で、基本レポートを清水徹朗さんが説明を行った。実際にタミル人の居る南インドに3回ほど訪れ、大野晋の説を実地に体感した経験に基づいた紹介をしてもらった。
レポートの内容:
  • 基本レポート(清水)では、
    • ➢ 清水さんが、仕事で東南アジア等の調査に行き、タミル語を知り、南インドへ行き、タミル人の居る現地の風習・文化を見聞きした上で、大野晋の、日本語 タミル語起源説を紹介した。
    • ➢ 南インドで使用されたタミル語は、日本の古代の言葉と極めて類似すること、文法も一致し、日本の和歌・短歌の五七五七などの音韻が一致するなど、を紹介。生活・風習についても、甕棺・支石墓の墓制、日本の小正月の風習とタミルの祭りポンガルが類似し、掛け声が同じこと、稲作に係る単語の同一性があることを紹介した。
    • ➢ 日本語が何処から来たのか?ということを、日本語とアイヌ語、日本語と朝鮮語の関係の学説を含めて、言語の系統論の近年の歩みを簡潔に紹介。
    • ➢ その中で、発表された大野晋の「タミル語 日本語起源説」が、大きな評判を呼んだが、言語学者など学会から「総スカン」を食らい、否定され続けた。これは、大野晋が国語学者で、言語学者では無かったことに由来した。
    • ➢ 南インドからタミルが日本へ、舟で来たとの説を補強するインドから日本へ帆船を航行させたこと、インド製ビーズが、弥生時代に九州で発見されたこと、中国で実用化される以前の鉄が日本で発掘されることは、インド由来の証拠など、インドから日本へ渡来した証拠や可能性が示された。
  • 基本レポートへのコメント(丸地)
    • ➢ 日本語:タミル語起源説についてコメントした。 二か所で同一の物を発見した時に、A→B、B→Aのケースだけでは無く、「X地点からA,X地点からB」のケースも検討すべきだと、原則論を再度披露。
    • ➢ 「稲作の起源から辿る」と、発祥の地中国の長江中・下流域から、西はインドへ、東は日本へ稲作が伝播した。同様に、稲作・言語・墓制・祭りなども、東西に伝播した可能性が高いことを示し、タミル語も、日本語も、長江中下流域から東西に分かれて伝播したものとの説を紹介。
    • ➢ インドから日本への渡来の証拠とされたインド製ビーズと鉄製品に関しても、別の可能性を示した。
      • ✧ インド・ビーズは、沖縄・琉球が東南アジアへの交易網を持ち、そこでビーズを輸入し、日本国内の交易網(沖縄・九州・日本海・北海道)に供給した可能性が高い。
      • ✧ 弥生時代が3000年前に遡ると、弥生初期の鉄は、中国の鉄実用化時期よりも前になる。この解決策は、インドからの伝播とする必要は無く、
        1. ① 歴博の主張は、弥生初期の鉄の発掘情報は、全てのケースで、写真などの証拠がなく、信頼できない。考古学者の発掘レポートは虚偽だとする説は、有効な解決手段。
        2. ② 歴博の「500年遡る」とする主張自体が間違いで、従来の2500年前に戻すべきとする主張を正しいとすればやはり解決する。
質疑応答
  • 基本レポートとそれに対するコメントを受けて
    • ➢ 清水さんは、コメントに対して
      • ✧ 水田稲作の渡来とタミル語の到来は、直接には、結びつかない可能性がある。
      • ✧ 米と稲作の起源に関しては、定説が固まっていない。調べて行きたい。特にインドの起源に関しては、調査が進んでいないので、確認したいとのこと。
      • ✧ 稲作とタミル語の起源を中国とする説には、納得が行かない。
      • ✧ しかし、コメントを受けて、検討して行きたい。
  • その外の意見 : 中国の古代の歴史から、長江中流の民族が、古代の戦争に破れ、東南アジアやインドまで逃れたとする説もあり、検討に値するとの意見などが出た。
  • 稲作の起源に関しては、和佐野喜久生著「東アジアの稲作起源と古代稲作文化」が、稲の歴史では、重要な文献と思うが、農学者達が、取り上げていないのは何故かとの問いがあり、情報交換が行われた。
動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
  1. 13 大陸との交流 「タミル語と日本語」 基本レポート 1時間23分
    https://youtu.be/XlRgra27uSo
  2. 13 「タミル語と日本語」へのコメント 40分
    https://youtu.be/RIsa180sjyU
➤ 資料
  1. 日本語タミル語起源説 清水徹朗 PDF 約 5.3MB。
  2. 「タミル語と日本語」 コメント 丸地三郎 PDF 約 5.3MB。