最終更新日:
2026/02/15

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「最初のアメリカ人は北海道出身? 都立大・東北大など日米チームが新仮説」New!

朝日新聞(2026/02/10)の記事

▼新聞記事
朝日新聞2026/02/10朝刊の記事「最初のアメリカ人は北海道出身?」
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<コメント=丸地三郎(当会会長)>
2026/02/15

楽しい見出しの記事かと思います。北アメリカの10か所の遺跡の石器が北海道で出土する石器と同じ形状とは、ビックリするニュースです。素晴らしい発見かと思います。アメリカ原住民の経緯は、未だに定まらず、学会でも論議されている処で、その可能性はあるかと思います。

北海道から直接アラスカへ海上を舟で動くルートだけが記されていますが、シベリア内部を移動した事実があります。これを忘れては困ります。旧石器人・縄文人の遺跡が、サハリンだけでなくシベリア各地から発見されており、北海道の白滝の黒曜石が出土しています。最新のDNAの解析結果では、シベリアの民族に縄文人のDNAが含まれるとの発表があります。(土井ガ浜関連の論文「弥生時代人の古代ゲノム解析から渡来人のルーツを探る」中に記載)

図1.縄文人のDNAを持つシベリアの民族
-日本語追記版
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  • 出典(クリックすると表示) 論文「Genetic Analysis of a Yayoi Individual from the Doigahama Site Provides Insights into the Origins of Immigrants to the Japanese Archipelago」(Fuzuki Mizuno*(*責任著者)ほか)より
    Fig. 3 ADMIXTURE analysis using East Asian and Siberian populations. の一部分を丸地が加工(民族名を英語から日本語へ)
図2.縄文人のDNAを持つシベリアの民族の分布
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  • Google マップに丸地が加工

現代日本人の持つ縄文人DNAの凡そ半分ほど量を、シベリアの民族は持っているとの調査結果が出ています。縄文人がその地域に進出し、混血して子孫を残した結果と理解できます。(混血した人が後に移動した可能性もあります。)その民族の居住地域を地図上に示しました(図2)。その範囲の広さに驚かされます。北海道の縄文人は、白滝の黒曜石で培った優秀な石器の技術を持ってシベリアへ侵出し、長い期間、現地人と交流をした結果が、遺跡として、又、DNAとして残されています。サハリン、アムール川流域、東北シベリア、更に東のアラスカと対面するチュクチ地方とアリューシャン列島へと人と石器技術が移動したことが推測できます。

その意味で、この石器形状の類似から、アメリカ原住民に日本人の影響があったニュースは貴重なものです。

但し、記事の後半で記された縄文人が北海道に入ったのは1万年前前後と考えられており、今回の北海道・サハリン・千島列島地域の集団は、いまの日本人などの直接の祖先ではなく、それ以前にいたが姿を消してしまった「ゴースト集団」だと考えられるという。 この文面は、困ったことです。本州の先住民の一部が、津軽海峡を越え北海道へ移住したことは、遺跡とDNAで、既に、証明されています。北海道に渡った先住民は、白滝の黒曜石と言う石器時代の最も重要な資源が大量に入手でき、優秀な石器文化を築き、3万5千年前から、連綿とその文化を伝えており、1万年前にその文化が途絶えたという事実は有りません。考古学者の積み上げてきた石器の発掘と解析結果を無視して、「ゴースト集団」を、勝手に作り上げては困ります。

Y染色体ハプログループ C2(旧 C3)系統の分布
最終氷期前期北東アジア~アラスカ
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  • 地図は海水位マイナス78メートル時。マイナス約40メートルでベーリンジアに海峡ができる。
  • 極大期には主に
    • アラスカ西の海岸線
    • 東シナ海・黄海
    が異なる。
  • 産総研 地質図 Navi の「海面上昇シミュレーション」機能で作成

シベリア各地の民族から検出されるDNAは、古代の日本各地の縄文人のDNAと同一のものです。沖縄の縄文人とも同じものです。考古学者の一部には、未だに、日本人の祖先は、シベリアから北海道へマンモスを追って到来したとの説を説く人がいますが、遺跡とDNAが示す事実は、3万年前から日本人の祖先がサハリンを経由して、シベリアへ進出していたことです。

なお、DNA情報やシベリアの遺跡について検討資料が古代史を解明する会の45回「土井ヶ浜遺跡の人骨DNA解析結果」(2024年11月9日)の記録に有りますので、参考にして下さい。

「人類の祖先 どう海を越えたか 舟作り渡航「漂流」から風利用の帆へ発展」New!

朝日新聞(2026/01/30)の記事

▼新聞記事
朝日新聞2026/01/30朝刊の記事「人類の祖先 どう海を越えたか」
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<コメント=丸地三郎(当会会長)>
2026/02/03

日本と言う大海の中に存在する列島へ、人類が到達するには、海を越えることが必須でした。最初の日本人が到達した時期は、凡そ4万年前。海面が低下していたその時代の地図を見ると、沖縄や本州に来るには、広い海を越える必要がありました。

海水位-82m(約4万年前相当)の
東南アジア~日本列島
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  • 産総研「地質図 Navi」で海面上昇シミュレーション機能を用いて作製

東南アジアにあったスンダ大陸からオーストラリアのあるサフル大陸までの間を、アボリジニの祖先が5~6万年前に渡海して移住を果たしています。この方法が注目されており、記事で取り上げられたことは、素晴らしい紹介と思います。

スンダ大陸には、アボリジニの祖先のように海を渡る海洋民族が居て、帆を操る技術があったと考えられます。5~6万年から1~2万年後の4万年前には、その技術も進歩していたと推定します。舟作りや帆の技術も向上していたはずで、スンダ大陸から黒潮に乗って直接沖縄・日本列島へ来るコースも考えられるかと思います。スンダ大陸から陸上を長距離移動した後で、突然、台湾から沖縄へ船で移動するプランは、発想が難しい。沖縄へ渡った民族が、海洋民族ならば、陸上を長距離移動した後で、突然、海を渡ると発想することは無いはずで、スンダ大陸から直接、舟と帆で出発する方が発想的には自然。台湾の北側には、陸地が継続しているため、陸上移動を移動してきた民族は、陸上移動を継続するはずで、そのまま、北上し、バイカル湖やシベリヤまで行けたはず。

スンダ大陸で生活をしていた人々には、泳げる人々の海洋民族と、泳げない人々(民族)が居たはず。泳げない多くの人々(民族)は、陸上を徒歩で北上し、泳げる海洋民族は、舟と帆で、移動を試みたと想像します。

2024年2月7日の読売新聞の記事「温暖化、超巨大噴火…天変地異と深くかかわる日本人の起源と「黒潮の民」 をご覧になって論調を比較するのも面白いかと思います。
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20240205-OYT8T50107/

「人類の旅 日本列島は出会いの場? 大陸で南北へ分かれたルート 交わる終着点」New!

朝日新聞(2026/01/27)の記事

▼新聞記事
朝日新聞2026/01/27の記事「人類の旅 日本列島は出会いの場?」
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<コメント=丸地三郎(当会会長)>
2026/02/03

日本人の起源に興味のある人には見逃せない、壮大な人類の旅の記事ではあるが、最新のDNA研究成果で完全に否定されたルートに固執したもので、時代遅れな内容。

ホモサピエンスがアフリカを出て、東アジアに至る道はヒマラヤ山脈の北側ルートと南側ルートの二通りがあると、長い間、説かれてきました。そのヒマラヤ山脈の南と北のルートで横断した人類が、それぞれの旅路を日本列島で終え、ここで出合ったとすると、それは大ロマンと言えます。

しかし、近年、劇的に蓄積されているDNAゲノム情報を使い、アジア10カ国の国際共同研究体制で、人類集団ゲノム情報を解析し、アジア系を中心とした75集団の系統樹を作り上げました。その結果、その全ての集団が南ルートで来たことが判明した。それに拠って、北ルート説は消滅した。このプロジェクトには日本の学者グループも参加し、伊川津貝塚遺跡の縄文人のDNAを調べ、北ルートの痕跡が無いことを確認しています。(2020年9月発表)

古い人類学の本では、ヒマラヤ南北ルートが必ず記載されていました。5~6年前にグーグルで検索すると、沢山の図と論文・記事が見つかりましたが、現在は限られた情報しか見つかりません。

考古学者達の中には、最近のDNA解析結果に注意を払っておらず、まだ、ヒマラヤ山脈北ルートに固執して論じるケースがあり、要注意です。

当会の「古代史を解明する会」の第46回 2024年12月7日「新聞の記事を見ながら、日本人の起源・討論」で取り上げました。資料の13頁以降に関連図を紹介。

「最古級の石器、広島・冠遺跡で新たに400点超…地磁気極の大変動の痕跡発見も期待」New!

読売新聞オンライン(2025/10/15)の記事

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<コメント=丸地三郎(当会会長)>
2026/01/30

少し前のニュースですが、お知らせします。

最初の先住民が日本に到着した時期は、考古学会では3万7千年前と言って来ましたが、それを5千年前に遡らせる遺跡が発見さました。中国山地の冠遺跡です。4万2千3百年前と計測された地層から石器が出土したという画期的な発見です!

最初の先住民が日本に到着した時期は、考古学会では3万7千年前と言って来ましたが、それを5千年前に遡らせる遺跡が発見さました。中国山地の冠遺跡です。4万2千3百年前と計測された地層から石器が出土したという画期的な発見です!

過去の考古学上の発見ならば、派手な見出しで飾られるはずの、大発見です。

しかし、何故か、発掘調査を行っている奈良文化財研究所(奈文研)の国武貞克主任研究員は慎重です。昨年の最初の発見から約1年後に、再発掘を行い、地質学的なサンプルを採集し、地質学者達の研究結果を待っている。何故、これほどまでに慎重なのか? 理由は、旧石器事件の反省とのこと。1年程で、研究成果がでるとのことですので、その結果の発表を待ちたいと思います。連続した地層から石器群が出土することなどから確実性が高いと言われ、期待が高まります。

奈文研は、年代に関わる発表を検証せずに行い、年輪年代法や銅鐸埋納年代でも問題発表を行っています。今回は、その反省も有るのかと勝手に想像します。

尚、記事中に石器の出る最上層部は2万8千年前としています。記事以外の情報でも同様のことが確認できます。3万年前に鹿児島の姶良カルデラの大爆発があり、この地方でも32cm以上の火山灰が積もった地域と筑波の産総研の発表に記されています。壊滅的な被害を被ったと理解していましたが、2万8千年前の石器が出ることは、この地方では大量の火山灰があっても、人類が生存し続けたことを示しています。条件によっては、生き延びることが可能だったと改めて理解しました。

九州と中国地方西部の黒曜石と
サヌカイト主産地の分布
九州と中国地方西部の黒曜石とサヌカイト主産地の分布

尚、西広島タイムスWEBの記事が出土石器・地層などが見易いので紹介します。
https://nh-times.jp/post-32089/

また、野口理事のサイト「風仙洞」に日本列島の黒曜石/サヌカイト主産地分布地図があるので、その中から「九州と中国地方西部の黒曜石とサヌカイト主産地の分布」を転載します。

アルファベットが黒曜石産地、数字がサヌカイト産地で、5 が冠遺跡群です。ちなみに J が黒曜石産地である腰岳(伊万里市)です。

「謎めく銅鐸 厚いベールに挑む」朝日新聞朝刊/Asahi.com 有料記事 New!

朝日新聞(2026/01/13)の記事

▼新聞記事
朝日新聞2026/01/13の記事「謎めく銅鐸 厚いベールに挑む」
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<コメント=丸地三郎(当会会長)>
2026/01/23

2026年1月13日の朝日新聞朝刊に、「謎めく銅鐸 厚いベールの挑む」との記事が掲載されました。期待を持って読むと、銅鐸の埋納時期を取り上げており、その埋納の時期が、従来の説では弥生終末期とされていましたが、一斉埋納がそれ以前の時期にもあったとの説を取り上げていました。2017年にニュース・リリースされた兵庫県淡路島の砂の堆積地で発掘された松帆銅鐸の年代発表が新しい一斉埋納時期の根拠になっています。

実は、このニュース・リリースは、炭素14の誤った年代発表でしたが、その指摘がされずにそのままになっていました。従って、その結果は、この記事に見られるような混乱を引き起こしていました。それが、この新聞記事から判り、非常に残念に思いました。

年代測定を担当したのは、奈良文化財研究所で、科学的方法で測定した結果を、非科学的な処置をして、誤ったまま発表していました。年輪年代法と同様に、秀れた科学的方法を使いながら、誤った処置により、非科学的な間違った発表を行い、この事例でも歴史学の研究を妨げています。

炭素14年代測定に関しては、科学的で信頼できるものですが、取り扱いには、留意が必要とされています。科学的一般常識としては、以下の点に留意するべきことが知られています。

  • 試料の汚染(コンタミネーション)
    • ⟡ 古い炭素の混入: 石灰岩など放射性炭素を含まない古い炭素が混入すると、年代は実際より古く測定されます。
  • リザーバー効果(環境による誤差)
    • ⟡ 海洋効果: 海水中の炭素は大気より古いため、魚や貝、海獣を摂取した生物の年代は実年代より数百〜千年以上古く測定されることがあります。

松帆銅鐸の場合、海の中にある淡路島で発見され、砂の堆積場所から発掘されているため、汚染状況が判らないことは、最初から指摘されていました。その中で、「古い炭素の混入」や「海洋リザーバー効果」が懸念されることは当然と言えます。従って、計測結果の発表では、上記の可能性を考慮して発表すべきでした。

奈文研の資料・別紙では、計測された8点の試料について、下記のようなグラフを複数掲載しています。

図1 炭素含有率と14C年代 図2 グラファイト重量と14C年代
  • 図1と図2は、画像をクリック(タップ)すると拡大)

8点の試料と計測結果には、何らかの法則あることを示しています。従って、試料全体が、何かの影響を受けていることになります。このような条件の中で、3点は、正確な年代が測れたとして発表し、残り4点は不正確として排除しているが、その根拠は無い。このように、統一性が見られる試料は、全てを取り上げるか、又は、全てを取り下げるべきものと一般的には理解されます。この場合には、取り下げるべきもの。

奈文研は、「海洋リザーバー効果」などを一切言及せず、銅鐸付着物の年代を紀元前4世紀~紀元前2世紀としている。従来の弥生時代の年代観では、弥生人の渡来時期又は、以前となり、矛盾が生じます。同じく炭素14年代測定を誤って使い年代発表を行っている歴博の500年さかのぼった弥生開始時期に合致した年代となっています。

科学的な年代計測の場合、非科学的な取り扱いを行い、誤った発表をして、歴史を混乱させることは止めて欲しいものです。


尚、蛇足ですが、コメントします。

奈文研の発表内容は、科学的な基礎データが欠けています。

AMSの測定では、結果として、まず、14C/12C比が求められます。

次に、その比から「放射性炭素年代」が産出されます。

最後に、「放射性炭素年代」を「較正曲線」によって、実年代に変換します。

この「較正曲線」は、科学の進歩により、凡そ7年毎に更新されています。

研究のためには、最新の較正曲線で実年代を確認する必要があります。

  • 奈文研の発表は、この「較正曲線」で変換された年代だけが記載されています。
  • 本来、記載されるべきは、「放射性炭素年代」が、掲載されていません。従って、最新の較正曲線・IntCal20での較正結果が確認できません。
  • 科学的な発表としながら、科学的検証・再検証を忌避しており、非科学的と云えます。

「アズキ栽培 日本発祥だった ゲノム解析 大陸説覆す」2025/06/18 朝日新聞夕刊 New!

朝日新聞夕刊(2025/06/18)の記事

▼新聞記事
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元記事:

<コメント=丸地三郎(当会会長)>
2025/06/18

2025年6月18日の朝日新聞夕刊で報じられたニュースによると、赤飯や和菓子に欠かせないアズキの栽培は、縄文時代の日本で始まったことが、国立研究開発法人の農研機構と台湾大学の研究チームによるゲノム解析で明らかになりました。これは、これまで有力視されてきた「イネやムギと同様に弥生時代に大陸から伝わった」という説を覆す、画期的な成果です。

農研機構のプレスリリースから、試料の採取地とゲノム解析の結果をみる。

図1.解析に使用した栽培アズキ(栽培)およびヤブツルアズキ(野生)の採取地
図2.栽培アズキおよびヤブツルアズキの葉緑体ゲノム配列に基づく主成分分析

ゲノム解析の結果、アズキの栽培化は少なくとも1万年前、縄文時代後期から日本で始まっていたことが判明しました。これは、縄文時代にも農業が存在したことを裏付ける非常に大きな発見です。

しかし、この発見は同時に新たな疑問も生み出します。日本で栽培が始まったとされるアズキは、現在、中国北部から南部、さらには東アジアからネパール・ブータンまで広く分布しています。従来、中国起源説が有力だったことを考えると、その栽培時期は数千年以上前と考えられます。

もしアズキが日本で生まれたとすれば、数千年前に日本生まれの栽培アズキを中国本土に伝えた人々は誰だったのでしょうか? 周りを海に囲まれ、歩いての往来が不可能な日本から中国へ、どのように伝達されたのか、この点が次の大きな疑問となります。

同様の例として、1万年以上前に日本で使われ始めた漆や漆器が、7千年前には中国の河姆渡(かぼと)遺跡で使用されていたことも知られています。このように、縄文時代の日本と大陸との間の交流の謎は、さらに深まるばかりです。

この重要な発見について、もう一度新聞記事を読み返し、詳細を確認してみることをお勧めします。

追伸: アズキの発掘状況が判りましたので、追伸します。

  1. 日本における最も古いアズキの出土は、滋賀県の粟津あわづ湖底遺跡(6000年前)からのもの。
  2. 次に古いアズキの出土は、福井県の縄文前期(5000~6000年前)の遺跡である鳥浜貝塚からのもの。
  3. その後、日本では、青森県の三内丸山さんないまるやま遺跡(4000~5000年前)、鳥取県の桂見かつらみ遺跡(4000~5000年前)、富山県の桜町遺跡(4000年前)、京都府の桑飼下くわがいしも遺跡(3000~4000年前)などからアズキの種子の出土がみられるようになる。
  4. 韓国でアズキの種子が確認された最も古い遺跡は韓国慶尚南道キョンサンナムトの南道遺跡(5000年前)
  5. 中国において発掘された最古のアズキ種子は、山東半島龍山文化の両城鎮りょうじょうちん(Liangchengzhen)遺跡(4000年前)から発見されたもの。

調査・試験研究:「アズキの起源地と作物進化」 著者 独立行政法人 農業生物資源研究所・ジーバンク 友岡憲彦ほか より抜粋しました。

朝鮮半島へは、古くから日本のものが運ばれていたことも判りました。

「歴史教科書で学んだ「渡来人」の本当の正体 古代人のDNA解析でかつての「定説」が覆った」~武光誠の意見

東洋経済オンライン 2025/03/03 の記事より

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元記事:

<コメント=丸地三郎(当会会長)>
2025/03/14

内容は、

「近年発表された古代人のDNA解析の成果により、古墳時代の人びとの25%は朝鮮半島からの移住者であることが明らかになり、歴史教科書で学んだ「渡来人」をとりまくイメージは一変しています。これは、日本の文化の成り立ちにも関わってくるトピックです。」

として、金沢大学や理化学研究所が発表した最新論文を示し、武光誠氏の著書『渡来人とは何者か』を紹介している。紹介のポイントは、日本人の先祖は三系統から成るとするもので、DNA/ゲノム解析を根拠としている。

読む前に留意して頂きたいことは、ここで示した『金沢大学や理化学研究所が発表した最新論文』は、誤りと指摘されている論文であること。当会では過去2回にわたり指摘している。(下記を参照下さい。)

  1. 古代史を解明する会の第45回「土井ヶ浜遺跡の人骨DNA解析結果」(2024年11月9日)でご紹介した論文で、「弥生人を代表するゲノムデータ」は、土井ガ浜遺跡の人骨DNAとすべきで、上記の最新論文で「弥生人を代表するゲノムデータ」として採用した下本山岩陰遺跡人のDNAは、適切でないことが、明白になった。
  2. 新着ニュース “要注意”の朝日新聞記事:日本人の「完成」は古墳時代だった? DNAを分析、ルーツに新説 の中で、誤りを指摘した。「上記の最新論文」が弥生人の代表サンプルとして取り上げた下本山岩陰人について、下本山岩陰遺跡人のDNAを解析した著者が記載した論文を調べた処、このDNAを「弥生人を代表するサンプル」と扱わないように注意書きを記していた。しかも、この下本山岩陰人は、一般の縄文人に共通する特徴を備えたと記載している。
  • 画像出典:「渡来人とは何者か」武光誠 著、河出書房新社 刊

図「日本人の三重構造」の中の「弥生人」のデータは「下本山岩陰遺跡人」で、西北九州弥生人(縄文人)と言われ、縄文人と同様の骨格を持つ人のデータ。九州の縄文人に、弥生人の血が入っている可能性を示し、問題提起が行われた。
図の中の「古墳人」のデータは、弥生人である土井ヶ浜遺跡の人骨DNA解析結果に近似。

この武光氏が論拠としている論文は、完全に誤りであることが指摘されている。今回の東洋経済オンラインの記事は、誤りを増長し、誤った知識を広めるもの。誤った根拠と論文から成り立つ「日本人の先祖は三系統から成る」とする誤った説の拡散は止めて頂きたい。

奈良文化財研究所が「年輪年代測定データをネットで初公開、研究者の追検証や利活用に期待」 産経ニュース

産経ニュース 2024/12/19 の記事より

▲冒頭部分のスマホ表示
(スクリーンショット)
元記事:

<コメント=丸地三郎(当会会長)>
2024/12/24

当会では、奈良文化財研究所(奈文研と略称)に対して、年輪年代法の基礎情報を情報公開のデータ公開を求めて公訴し、約3年かけて裁判を行って来ました。その判決が来年2025年1月に結審する予定です。その裁判に直接かかわるような奈文研の発表とニュース記事が出ました。

記事の通り、年代測定を行う基本的な情報である測定対象の画像データ・測定箇所の画像データ・年輪幅データなどを同研究所のネット上で公開するとのことです。公開の意義を他者による追検証を可能なものとするとしています。これらのことは、原告の当「日本古代史ネットワーク」が、被告の奈文研に対して要求してきたことと同様に見えます。裁判では、奈文研側が公開しないとして争ってきた内容です。不思議なことが起きたように見えます。

12/20には、下記の図のように、実際に公開されました。

  • 画像は奈文研のデータ・リポジトリ
    https://sitereports.nabunken.go.jp/files/cultural_data_repository/cultural_datum/2/2040/download/29ho008.zip
    より。
公開名称・場所及びURL

平城京左京三条一坊一坪出土遺物の年輪年代データセット - 文化財データリポジトリ - 全国遺跡報告総覧
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/search-cultural-data-repository/item/74

奈文研の「年輪年代法データセットの公開」の目的や意義、今後の展望が、奈文研側のプレス・リリース資料に詳しく掲載されています。興味のある方は、ご覧いただけると幸いです。
https://www.nabunken.go.jp/news/docs/20241219press.pdf