最終更新日:2021/07/03

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国内最古級 2500年前の船材 弥生前期後半、鹿児島県・中津野遺跡から出土 専門家「外洋航海の証拠」2021/04/23 南日本新聞NEW!

【南日本新聞の記事より】

鹿児島県立埋蔵文化財センターは23日、南さつま市金峰の中津野遺跡で2008年度に出土した木材が、約2500年前(弥生時代前期後半)の「準構造船」の部材と判明したと発表した。国内の出土例を100年ほどさかのぼり、最古級という。専門家は「高度な造船技術で、外洋航海が行われていたことを示す証拠」と評価する。

【写真】南さつま市金峰の中津野遺跡で出土した舷側板(2009年2月撮影、県埋蔵文化財センター提供) 大きさ:幅約0.3m×長約2.73m×厚5cm
南日本新聞の元記事
https://373news.com/_news/?storyid=136127
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南日本新聞社の記事内容と展示中の鹿児島県・上野原縄文の森のHP中の関連情報をまとめたPDFをダウンロードできます。
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<コメント=丸地三郎(当会副会長)> 2021/07/03
  1. 船の部材がこれだけ、きれいな状態で出土することは、ほんとうに稀なこと。船材は、湿気が多く腐りやすい場所におかれることが多いためか、腐食し、消失してしまい、良い状態で出する例は少ない。
  2. 縄文時代の丸木舟の出土例は、全国で160例ほどあり、約60例は千葉県で出土し、全長7.2mの大型丸木舟も報じられている。日本海側は山陰から、北陸なども多く出土し、福井県の鳥浜貝塚・ユリ遺跡出土の9艘のスギ製丸木舟も有名。全国で最も古い丸木舟の出土は、約7000年前。
  3. 弥生時代には、丸木舟に加えて準構造船・構造船と云われる板材を使った船が出現した。土器に描かれた舟の線刻絵画が残されているが、実際の船材の出土品は少なく、大阪の瓜破来た遺跡から出土した船材は、残念ながらバラバラの小片になっていた。九州の糸島地域の複数の遺跡から出土例があり、潤(うるう)地頭給遺跡の例は最も部材が充実しており、6枚の船底部と1枚の舷側板の計7枚が出土している。船底部となる部材はそれぞれ長さ1.2~1.5mほどで、厚みは3.5~4.5㎝程度、舷側板は、長さ1.5m、幅23㎝、厚さ4.5㎝である。
  4. 今回、鹿児島県南さつま市金峰の中津野遺跡で出土した舷側板は、長さ2.73m×幅0.3m×厚さ5cmで「ほぞ穴」や「切り込み」もしっかり残されており、構造が判る貴重な船材。良好な状態が保たれたのは、出土状況の写真からも判るように、湿地帯で粘土層に包まれたことが幸いしたものと推定される。年代は弥生時代前期後半(BC5世紀~BC4世紀)と推定されており、弥生時代の当初より、外洋航海が行われたことを示すものとして注目される。
  5. 弥生時代の開始時期より、弥生人の到来など「外洋航海」が行われたことは明白だが、それを裏付ける船・船材などの遺物が無く、歴史解明上の課題になっていた。舟・船・船材は、腐敗しやすい環境に残されるため、出土例が少なかったが、今回の出土例は、その意味でも良好な船材が発見された貴重な例で、古代の船の検討が進むことが期待される。
  6. 世界最古の往復航海が、伊豆神津島の黒曜石採取のための航海と云われ、3.7万年前から3.4万年前まで継続して行われていたことが明らかにされている。どんな舟を使ったのか? 帆を使ったのか興味深いところだが、残念ながら、船体や、船材は出土していないため、判らない。
写真「南さつま市金峰の中津野遺跡で出土した舷側板」(2009年2月撮影、県埋蔵文化財センター)

炭素14年代:国際較正曲線INTCAL20と日本産樹木較正曲線JCAL
<速報コメント=鷲崎弘朋> 2020.10.04(改 2020.10.12) 

最新の北半球の炭素14年代・較正曲線INTCAL20は、紀元前後~AD450年頃は日本産樹木較正曲線JCALが基準となり、JCAL= INTCAL20としてほぼ統一された(2020年8月、歴博発表)。これにより、弥生古墳時代の年代観に大きな影響が及ぶ。

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国立歴史民俗博物館による2020年8月25日の発表
「IntCal20 較正曲線に、日本産樹木年輪のデータが採用されました」
と鷲崎の速報コメント

  1. 大阪府池上曽根遺跡ヒノキ柱根N0.12の最外年輪:炭素年代は2020BP
    2020BPの実年代(較正年代=暦年代)はBC50~AD100年、中心はAD1世紀前半頃で従来考古学通説と一致(図3)。
    大阪湾岸の海洋リザーバー効果も配慮すべき(遺跡は海岸から2km)。年輪年代測定値はBC52年伐採だが従来考古学通説と100年乖離し、従来通説(AD1世紀中頃)が正しい。
  2. 纏向遺跡大型建物跡の土坑出土の纏向桃核(名古屋大測定12個、山形大測定2個、合計14個の加重平均):炭素年代は1823BP
    1823BPの実年代は、AD220~AD260年あるいはAD290~AD340年(図3)。
  3. 箸墓周辺出土の布留0土器:炭素14年代は1800BP
    1800BPの実年代はAD240~AD260年あるいはAD290~AD340年(図3)。
    箸墓築造年代の通説はAD300年頃~4世紀前半で、1800BPはこの従来通説と一致する。

図3

2021年 仁徳天皇陵発掘調査 NEW!

「仁徳天皇陵」来秋再発掘へ 保全目的、謎解明に期待

宮内庁が仁徳天皇陵として管理する国内最大の前方後円墳・大山古墳(堺市、5世紀中ごろ)について、古墳の保全を目的に再発掘を検討していることが10日、同庁への取材で分かった。地元自治体の堺市に協力を呼び掛け、2021年秋の実施を予定している。発掘は19年に世界文化遺産に登録されて以来初めて。

古墳の構造は不明な点も多く、被葬者を巡っては研究者の間で大きな論争が続いており、謎の多い巨大古墳の実態解明にもつながることが期待される。

同庁によると、今回の再発掘では内側の堤で調査範囲を広げ、石敷きの広がりや、埴輪列の有無などを確認する方針。

大山古墳写真
共同通信記事