最終更新日:2021/11/13

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沖縄 1万年前の人骨出土 旧石器人と縄文人の「空白期」を埋めるNEW!

旧石器人の港川人が、縄文人や現代日本人とつながるのかが問題になっているが、その間をつなぐ1万年前の人骨が出土したことが、大きな手掛かりになるとのこと。注目に値する。

新聞の元記事(オンライン)

沖縄で1万~9000年前の人骨発見
貝塚時代で最古、「空白期」埋める 藪地洞穴遺跡

うるま市の藪地島洞穴遺跡で出土した
貝塚時代の人骨(頭骨片)

沖縄県うるま市の藪地洞穴遺跡で、約1万~9千年前の貝塚時代の人骨が発見されたことを8日、うるま市教育委員会が発表した。発見された人骨は頭蓋骨の一部で、これまで県内で発見された貝塚時代の人骨では最も古い。県内では1万4千年以前の旧石器時代と7千年以前の貝塚時代の間で、人骨は発見されていない。「空白時代」を埋める貴重な発見となる。

沖縄諸島では、旧石器時代の後の縄文時代から11世紀ごろまでを「貝塚時代」と呼ぶ。沖縄本島では、約2万2千年前の「港川人」が、旧石器時代としては、日本で初めて見つかった完全な形に近い人骨として知られる。しかし、これまで貝塚時代では、名護市大堂原(うふどうばる)貝塚で発見された約7千年前の人骨が最古のものだった。

残存部の位置

地上60~70センチの深さから発掘された人骨片は2点で、どちらも約10センチ程度の大きさ。部位は前頭骨の部分で、眉間が平坦で、なだらかなアーチを描いてるため、女性と推定している。また、前頭骨と頭頂骨の間の「冠状縫合」の縫合線が現存することから、成年(16~20歳)から壮年(40歳未満)の年齢と推定している。県内で発見されている貝塚時代の人骨から見られる、「眼窩(がんか)が四角い」という特徴も備えている。

人骨の保存状態は良好で、市では、今後はさらに多くの人骨が周辺から発見できる可能性があるとしている。旧石器時代と貝塚時代の関係性などの調査研究も進めていく。

市では、今回の人骨とこれまで藪地洞穴遺跡で発掘された土器なども含め、9~21日と12月14日~来年1月30日までに市勝連のアマワリパーク歴史文化施設で展示する。11月23日~12月5日は県立博物館・美術館で開催されている企画展での展示も行う。

朝日新聞2021年11月9日
朝日新聞記事「沖縄 1万年前の人骨出土」

※画像をクリックすると拡大。

<コメント=丸地三郎(当会副会長)> 2021/11/12

日本国内では、沖縄では、旧石器人の人骨が多く出土する。だれもが、この人骨が日本人の祖先と期待するが、不思議なことに、沖縄の古代史では、旧石器人は死に絶え、九州から縄文人が南下して、沖縄人となったとの説が主流となっている。沖縄では、1万4千年以前の旧石器時代と7千年以前の貝塚時代の間が、人骨は発見されていない「空白時代」と言われてきた。 その空白の時代を埋めるものがこの人骨となるかと、期待される。

2021年6月の読売新聞と7月の朝日新聞の「港川人のDNA解析」の記事が、一方は「現代日本人に繋がらず」他方は「ご先祖は、2万年前の港川人」と正反対の内容を伝えたが、このような「旧石器人と縄文人をつなぐ資料」が見つかることで、沖縄の旧石器の人と縄文人のつながりが明らかになることが望まれる。

“要注意”の朝日新聞記事:
日本人の「完成」は古墳時代だった? DNAを分析、ルーツに新説NEW!

『金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった。日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力だが、さらに大陸からの渡来が進んだ古墳時代になって古墳人が登場したことで、現代につながる祖先集団が初めて誕生したことを示唆している。』

とする記事が掲載された。

注目した古代史ファンが多かったはずだが、この記事の内容には、疑問がある。

新聞の元記事(オンライン)
朝日新聞の紙面

朝日新聞記事「現代日本人の祖先 古墳時代に誕生?(2021/09/18)」
※画像をクリックすると拡大。

<コメント=丸地三郎(当会副会長)> 2021/11/12

現代日本人の成り立ち

「金沢大外の国際研究チームが論文を18日、米科学誌サイエンス・アドバンシズに発表する。」として報じたもの。

主な内容は、

  • ① 右図のように、「縄文人と弥生人が混血して現代日本人ができた」とする従来の説とは違い、「縄文人と弥生人が混血した後に、東アジア集団が混血した結果、古墳人ができた。これが現代人につながった」とするもの。
  • ② 縄文人7体、弥生人2体と古墳人3体の合計12体のサンプルのDNAを解析した結果判明したとする。
Fig.1

発表の中で、図中で水色のマークをされた「弥生人」が重要な要素になっている。この「弥生人」2体の遺伝子を弥生人全体を示すものとして取り扱い、古墳人の遺伝子の評価を行っている。代表させて良いものか疑問に思い、発表論文からサンプルを確認すると、2019年に日本人類学会誌に発表された論文:「西北九州弥生人の遺伝的な特徴 ― 佐世保市下本山岩陰遺跡出土人骨の核ゲノム解析 ― 」著者:篠田謙一・神澤秀明外 の中で、解析され、発表されたサンプルであることが判る。

このサンプル:下本山岩陰遺跡出土人骨は、「一般に縄文人に共通する低顔,凹凸のある鼻根の周辺形態,四角い眼窩などの特徴を備えていた」もので、渡来系弥生人とは異なる特徴を持っていた。そこで、「西北九州弥生人」は縄文人の系統を引くと判断されていたが、DNA解析の結果は、予想に反して、「縄文人と渡来系弥生人の双方のゲノムを併せ持つ」ことが判明し、現在、大変注目されている存在。一般的に弥生人と云われる人々は、図1の「弥生時代の九州・山口地域の遺跡」の渡来系弥生人。

図1
西北九州弥生人の特徴

※←↑画像をクリックすると拡大。

篠田・神澤論文では、このサンプルの取り扱いに関して、「今回の分析例を持って西北九州弥生人の遺伝的な性格を代表させることはできない」と記し、さらに、 「今回はひとつの遺跡のわずか2体を分析したものなので、この結果をそのまま九州全体の弥生時代の状況に演繹することは難しい。」との文章も加えている。

篠田・神澤論文では、弥生人を代表するサンプルとして取り扱っていないことは明らか。

ところが、今回の記事では、この『弥生人2体』のサンプルを「弥生人」として扱っており、弥生人を代表させていることになる。 この「西北九州弥生人」をもって、「弥生人」を代表させることは、無理が有るというよりも、誤っていると言わざるをえない。 しかも、DNA解析を発表した先行論文の注意書きを全く無視した内容になっている。

金沢大外の国際研究チームの発表論文は、誤ったサンプルを「弥生人」として解析した論文で、認めがたい内容になっている。 従って、それをベースに書かれた朝日新聞の記事も認めがたい。

追記:
  • 一般的に、最先端の科学技術を利用した発表記事の場合、裏付け取材がされないまま、誤った内容の記事が出ることがある。 科学に疎い文系出身の記者が取材した場合には、「先端技術」と云うと、内容が理解できず、しかも、裏付け取材もしないまま、ニュース・リリースの内容を写して記事にすることが多いとも言われる。
  • 今回の場合も、「DNA、ゲノム解析」という最先端の科学技術に関わるもので、更に、発表論文は英文で、おいそれと読めないという難しい状況であったことは、想像がつくが、誤りを伝えた影響は大きい。
  • 金沢大外の国際研究チーム発表の論文では、この「西北九州弥生人」を、 two 2000-year-old individuals associated with the Yayoi culture from the northwestern part of Kyushu Island, と、九州西北部の2000年前の弥生文化に関わる人と記し、弥生時代の水田稲作の拡散:「Dispersal of paddy field rice farming during the Yayoi period」と名付けた章の中で、弥生人の働きを展開している。
  • “弥生時代の水田稲作の拡散”を担った人々は、図1の「弥生時代の九州・山口地域の遺跡」の渡来系弥生人で、「西北九州弥生人」ではない。

「邪馬台国はどこにあったのか」 考古学界で優位の近畿説に反論NEW!

『近畿説 vs 九州説』の論議は尽きませんが、考古学者のほとんどが近畿説ではないかと見られている中、複数の有力な考古学者が九州説を論じているとの記事がありました。少し古い記事ですが、大変気になりましたのでご紹介します。

新聞の元記事(オンライン)
毎日新聞記事:PDF をここからご覧ください。
(毎日新聞に掲載の了解を頂いております。)
https://nihonkodaishi.net/topics/pdf/where_was_yamataikoku.pdf

<コメント=丸地三郎(当会副会長)> 2021/10/01

『考古学から見た邪馬台国大和説』と題した書籍が、2020/09/20 梓書院から刊行された。サブタイトルは、考古学では思いがけない「畿内ではありえぬ邪馬台国」。 著者の関川尚功氏は、奈良県立橿原考古学研究所員として、邪馬台国の有力候補とされる纒向遺跡(同県桜井市)などの調査に、30数年間も従事してきた著名な考古学者。

考古学者には珍しい九州説だと注目してきたが、その出版に先立つ2020/7/21の毎日新聞社の記事は、これが新しい傾向だと予告していたので、驚き、改めて注目する。

『近年になって相次いでいるのが九州説を唱える書籍の出版だ。考古学界では近畿説が圧倒的優位に立つ中、なぜ九州説の「逆襲」ともいえる状況が生まれているのか。』と【西部学芸グループ・上村里花】さんは、記す。

ここで紹介された九州説の考古学者の説にも興味が生まれる。

  1. 福岡県小郡市埋蔵文化財調査センター所長の片岡宏二さん(考古学)は、「『7割は九州説、3割が近畿説』と答えている」と紹介。 奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡の大型建物跡や出土したモモの種の年代測定などに触れながら、この「纒向遺跡の立派さ」こそが、逆に「邪馬台国らしくない」と指摘し、卑弥呼の性格や死後の状況からも九州説を取ると記載。「続・邪馬台国論争の新視点」(雄山閣)
  2. 国際日本文化研究センターの倉本一宏教授(日本古代史)も2018年刊行の「日本史の論点」(中公新書)で、「倭人伝が描く「宮室・楼観・城柵(じょうさく)厳かに設け」られた邪馬台国の様子は<運河で全国各地や朝鮮・中国に対しても開かれていた纒向遺跡とはまったく性格が異なる>とする。」と述べ、「福岡県の久留米市や八女市、みやま市近辺を候補地として挙げている。」
  3. 奈良県立橿原考古学研究所の坂(ばん)靖・企画学芸部長(考古学)も、今年2月に「ヤマト王権の古代学」(新泉社)を刊行した。「邪馬台国時代の奈良盆地には、魏と交渉し、西日本一帯に影響力を及ぼしたような存在はなく、同時代の纒向遺跡には<魏との交渉にかかわる遺物がない>としている」として、九州説を支持している。
  4. 吉野ヶ里遺跡の発掘に携わり、保存設備の計画・指揮を執った高島忠平・佐賀女子短大名誉教授の話を紹介している。「本来、邪馬台国の問題は、どのように古代の国家が成立していったのかを探る古代史の問題であり、「魏志倭人伝」はじめ史書など文字史料をしっかり読み解き、考古学資料と対応して論じていくべきだ。しかし、現在の考古学界にはそれが決定的に欠ける。それが問題であり、課題だ。」と。

2万年前の沖縄・港川人 DNA 解析~新聞社間で解釈が正反対

2万年前の沖縄・港川人のDNA解析の結果が、英文雑誌に論文発表された。その記事が読売新聞と朝日新聞に掲載されたが、正反対な内容が掲載された。

  • 2021/06/14 読売新聞 「港川人」、現代日本人と直接つながらず
  • 2021/07/23 朝日新聞 ご先祖は、2万年前の港川人?
新聞の元記事(オンライン)
関連情報

読売新聞と朝日新聞の記事をまとめた関連情報のPDFをダウンロードできます。
https://nihonkodaishi.net/topics/images/minatogawa-people/np_articles_on_minatogawa-people_dna.pdf

<コメント=丸地三郎(当会副会長)> 2021/08/25

日本人が何処から来たのか? 誰しもが知りたいこの疑問を解く鍵を握ると思われてきた沖縄・港川人のDNAを解析した結果が出たということで、興味津々のテーマだが、二つの記事は正反対になった。

英文雑誌に発表された論文とそのニュース・リリースや著者からの情報などで構成されたとみられるが、解釈が正反対になってしまった理由と本当の処を知るために、論文自体とリリースの内容などを詳細に検討した。

論文は、港川人の骨からミトコンドリアを取り出し、そのDNAの配列を、初めて解析出来たことをまず、報じている。(ミトコンドリアは、人間の細胞に含まれる小器官で、エネルギー代謝に関わるもの。母から子に遺伝され、母系の系統を調べることができる。細胞内には、二つの系統の遺伝情報がある。一つは、今回のミトコンドリアmtDNAで、もう一つは、人間の23対の遺伝子全体を示すもので、核ゲノムと言う。)

この初めて解析された港川人のmtDNAと、比較するために、13人の縄文人、4人の弥生人、2062人の現代の日本人(滋賀・長浜市民)のmtDNAを調べ、比較して出した壮大な研究の報告であった。

その結果は、「港川人のmtDNAは、縄文・弥生・現代人と同じものでは無く、直接関連しない可能性を示した。」しかし、「現在の祖先集団と現在のアジア人と東アジア人の祖先集団にも属している。」が判明した。この二つのやや矛盾した情報を解釈するために、中国の4万年前のTianyuan人と現在の東アジア人のmtDNA遺伝子を解析した結果、直接同じものでは無かったが、東アジア人の祖先と認定されたとする例証を示し、「日本列島では更新世後期(126,000~11,700年前)から現在の人口まで少なくともある程度の人集団の連続性があることが示されています。」との最終結論を得たと、英文論文はしている。

処が、論文の共同著者の中には、その結論に納得の行かない方も居たようで、「港川1号がアジア系集団全体の祖先であるというのは、港川1号の年代(19,000年前)からは考えづらいことである。」「港川1号のミトコンドリアDNAがハプログループM系統の祖先型にかなり近いことから、港川1号の年代は現在理解されている年代よりも遡る可能性がある(人骨そのものをもちいての測定がされていない)」と講演会で疑問を呈している。

(この疑問が、二つの異なった内容の記事の要因になったのではないかと推測する。)

確かに、沖縄の古代人が、東アジア全体に広がる東アジア系集団の祖先であるとすることは、地理的に見ても有り得ないことのように思える。しかし、核ゲノム(人間の23対の遺伝子全体)解析の結果は、同じような、有り得ないことを示している。

船泊遺跡の縄文人の核ゲノム(DNA)を解析した神澤秀明氏は、縄文人は、北東アジア人・東南アジア人が分岐する以前に分岐した人であるとし、「縄文人は、これまでかんがえられていたよりも古い時期に孤立した独自の集団である可能性が出た。」としている。 港川人が、縄文人の祖先であるとするならば、mtDNAに関しても、同じように、古い時期に孤立したことを示してしるものと考えられる。

筆者の個人的な解釈では、「港川人は、縄文人・現代人に繋がる」が正しい。


尚、この件に関しては、7月28日に開催された日本古代史ネットワークの解明委員会で、紹介と説明が行われました。その時の動画と資料及び記録は
https://nihonkodaishi.net/info-research/research.html
に掲載されていますので、そちらもご覧ください。

国内最古級 2500年前の船材 弥生前期後半、鹿児島県・中津野遺跡から出土 専門家「外洋航海の証拠」2021/04/23 南日本新聞NEW!

【南日本新聞の記事より】

鹿児島県立埋蔵文化財センターは23日、南さつま市金峰の中津野遺跡で2008年度に出土した木材が、約2500年前(弥生時代前期後半)の「準構造船」の部材と判明したと発表した。国内の出土例を100年ほどさかのぼり、最古級という。専門家は「高度な造船技術で、外洋航海が行われていたことを示す証拠」と評価する。

【写真】南さつま市金峰の中津野遺跡で出土した舷側板(2009年2月撮影、県埋蔵文化財センター提供) 大きさ:幅約0.3m×長約2.73m×厚5cm
南日本新聞の元記事
https://373news.com/_news/?storyid=136127
関連情報

南日本新聞社の記事内容と展示中の鹿児島県・上野原縄文の森のHP中の関連情報をまとめたPDFをダウンロードできます。
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<コメント=丸地三郎(当会副会長)> 2021/07/03
  1. 船の部材がこれだけ、きれいな状態で出土することは、ほんとうに稀なこと。船材は、湿気が多く腐りやすい場所におかれることが多いためか、腐食し、消失してしまい、良い状態で出する例は少ない。
  2. 縄文時代の丸木舟の出土例は、全国で160例ほどあり、約60例は千葉県で出土し、全長7.2mの大型丸木舟も報じられている。日本海側は山陰から、北陸なども多く出土し、福井県の鳥浜貝塚・ユリ遺跡出土の9艘のスギ製丸木舟も有名。全国で最も古い丸木舟の出土は、約7000年前。
  3. 弥生時代には、丸木舟に加えて準構造船・構造船と云われる板材を使った船が出現した。土器に描かれた舟の線刻絵画が残されているが、実際の船材の出土品は少なく、大阪の瓜破来た遺跡から出土した船材は、残念ながらバラバラの小片になっていた。九州の糸島地域の複数の遺跡から出土例があり、潤(うるう)地頭給遺跡の例は最も部材が充実しており、6枚の船底部と1枚の舷側板の計7枚が出土している。船底部となる部材はそれぞれ長さ1.2~1.5mほどで、厚みは3.5~4.5㎝程度、舷側板は、長さ1.5m、幅23㎝、厚さ4.5㎝である。
  4. 今回、鹿児島県南さつま市金峰の中津野遺跡で出土した舷側板は、長さ2.73m×幅0.3m×厚さ5cmで「ほぞ穴」や「切り込み」もしっかり残されており、構造が判る貴重な船材。良好な状態が保たれたのは、出土状況の写真からも判るように、湿地帯で粘土層に包まれたことが幸いしたものと推定される。年代は弥生時代前期後半(BC5世紀~BC4世紀)と推定されており、弥生時代の当初より、外洋航海が行われたことを示すものとして注目される。
  5. 弥生時代の開始時期より、弥生人の到来など「外洋航海」が行われたことは明白だが、それを裏付ける船・船材などの遺物が無く、歴史解明上の課題になっていた。舟・船・船材は、腐敗しやすい環境に残されるため、出土例が少なかったが、今回の出土例は、その意味でも良好な船材が発見された貴重な例で、古代の船の検討が進むことが期待される。
  6. 世界最古の往復航海が、伊豆神津島の黒曜石採取のための航海と云われ、3.7万年前から3.4万年前まで継続して行われていたことが明らかにされている。どんな舟を使ったのか? 帆を使ったのか興味深いところだが、残念ながら、船体や、船材は出土していないため、判らない。
写真「南さつま市金峰の中津野遺跡で出土した舷側板」(2009年2月撮影、県埋蔵文化財センター)

炭素14年代:国際較正曲線INTCAL20と日本産樹木較正曲線JCAL
<速報コメント=鷲﨑弘朋> 2020.10.04(改 2020.10.12) 

最新の北半球の炭素14年代・較正曲線INTCAL20は、紀元前後~AD450年頃は日本産樹木較正曲線JCALが基準となり、JCAL= INTCAL20としてほぼ統一された(2020年8月、歴博発表)。これにより、弥生古墳時代の年代観に大きな影響が及ぶ。

→ PDF ファイルの表示・ダウンロード
国立歴史民俗博物館による2020年8月25日の発表
「IntCal20 較正曲線に、日本産樹木年輪のデータが採用されました」
と鷲﨑の速報コメント

  1. 大阪府池上曽根遺跡ヒノキ柱根N0.12の最外年輪:炭素年代は2020BP
    2020BPの実年代(較正年代=暦年代)はBC50~AD100年、中心はAD1世紀前半頃で従来考古学通説と一致(図3)。
    大阪湾岸の海洋リザーバー効果も配慮すべき(遺跡は海岸から2km)。年輪年代測定値はBC52年伐採だが従来考古学通説と100年乖離し、従来通説(AD1世紀中頃)が正しい。
  2. 纏向遺跡大型建物跡の土坑出土の纏向桃核(名古屋大測定12個、山形大測定2個、合計14個の加重平均):炭素年代は1823BP
    1823BPの実年代は、AD220~AD260年あるいはAD290~AD340年(図3)。
  3. 箸墓周辺出土の布留0土器:炭素14年代は1800BP
    1800BPの実年代はAD240~AD260年あるいはAD290~AD340年(図3)。
    箸墓築造年代の通説はAD300年頃~4世紀前半で、1800BPはこの従来通説と一致する。

図3

2021年 仁徳天皇陵発掘調査 NEW!

「仁徳天皇陵」来秋再発掘へ 保全目的、謎解明に期待

宮内庁が仁徳天皇陵として管理する国内最大の前方後円墳・大山古墳(堺市、5世紀中ごろ)について、古墳の保全を目的に再発掘を検討していることが10日、同庁への取材で分かった。地元自治体の堺市に協力を呼び掛け、2021年秋の実施を予定している。発掘は19年に世界文化遺産に登録されて以来初めて。

古墳の構造は不明な点も多く、被葬者を巡っては研究者の間で大きな論争が続いており、謎の多い巨大古墳の実態解明にもつながることが期待される。

同庁によると、今回の再発掘では内側の堤で調査範囲を広げ、石敷きの広がりや、埴輪列の有無などを確認する方針。

大山古墳写真
共同通信記事