最終更新日:
2025/05/07

古代史を解明する会(解明委員会)

活動記録 バックナンバー 9

50.「邪馬台国論争の解明」(2025年5月3日)

2025年5月3日 13:00よりオンライン開催された。出席者11名

テーマ
「邪馬台国論争の解明」
<構成>
1 丸地氏による説明

300年続いた邪馬台国の所在地論争を終結させたい。そのためには、魏志倭人伝の旅程を正確に解釈し、比定地を選定し、魏志倭人伝の記述との一致度を確認する。

所在地探しが行き詰まった原因は、唐津上陸説にある。よって、魏志倭人伝が中国の文献であることを前提に旅程についても史料批判を行う。

魏志倭人伝は、240年の梯儁の報告書・248年の張政の報告書、魏の公文書、裴松之の注、陳寿の加筆で構成されており、それぞれの記述箇所の同定を行う。

梯儁の報告書の邪馬台国への旅程は明瞭である。

陳寿が追記した投馬国は琉球であり、倭とは別の国であることを明らかにするため追記された。

書紀や魏志倭人伝の記述等から判断して、上陸地点は唐津ではなく消去法で博多である。それに基づいて比定すると、伊都は太宰府、奴国は筑紫神社付近、邪馬台国は筑後平野東部の広範囲。城山が卑弥呼の宮殿。短里による距離も一致。

卑弥呼の墓は祇園山古墳、台与の墓は焼ノ峠古墳。

2 質疑応答
  • Q. 博多上陸説では、魏志倭人伝の国名と対応する地名はあるのか?
    太宰府が伊都となるが、太宰府付近に「イト」の地名がある。マツラも同じ。
  • Q. 魏志倭人伝に「東に海があり国がある」とあるが?
    邪馬台国の人が使節にそう伝えたはず。
  • Q. 魏軍の規模(数千名)は初訪としては大きすぎるのでは?
    皇帝の命令なので大規模な軍勢だった。
  • Q. 博多上陸説の比定地を確認してみたい。
  • Q. 投馬国への起点が帯方郡ではなく、なぜ不弥国なのか?
    起点に関する明確な根拠となる史料はない。
動画と資料
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➤ 資料
  1. 「邪馬台国論争の解明」 丸地三郎氏 PDF 9.9MB