最終更新日:2021/11/19


解明委員会 予定/記録

活動予定

2021年1月より12月まで東京にて開催される解明委員会は、新型コロナ感染防止のため、オンラインでの開催となります。

多くの会員の参加をお待ちします。

参加申し込みをされた方に、参加招待・案内をメールでお送りします。

初めての方でも、PC、タブレット、スマホが有れば、簡単にできます。初めての方には、初歩的な使用方法をお知らせし、予行演習も行います。その旨記してお申込み下さい。思った時にやってみましょう。お手伝いします。

◆東日本地区
◆西日本地区

2021年後半に予定されていた解明委員会・西日本地区研究会は、新型コロナ禍及び今般の大雨・洪水のため、2022年に延期となりました。ご了承お願い申し上げます。

  • 解明委員会研究会(いずれも 15:00~16:30、アクロス福岡セミナー室)
    • 炭素14年代測定法の問題点(2021年3月→中止)福岡
    • 邪馬台国への道(2021年3月→2月24日に変更)福岡
    • 古代史の諸問題~弥生時代の開始時期2021年7月21日)福岡
    • 科学的年代論①2021年8月25日)福岡
    • 科学的年代論②2021年9月22日)福岡
  • 詳細・申込みは、共催する「ふくおかアジア文化塾」事務局へ

活動記録(2021年4月開催以降)

以前の解明委員会活動記録は、別ページに移動し、まとめて掲載しています。

解明委員会「科学的年代測定法とその適用」2021年4月 オンライン開催

第5回解明委員会(2021/04/24)は、「科学的年代測定法とその適用」をテーマとして 13:00 より Zoom オンライン開催された。出席者は15名。

1)基本レポートの内容
  1. 年輪年代法は、奈文研の光谷拓実氏が発表してきたが、
    1. ① 使っている標準パターンが二種類あるが、内、旧パターンは間違っており、新しい木曽系新標準パターンは合っている。
    2. ② 旧パターンを使って多くの発表が行われているが、測定値が記録と100年違い、間違っている。
  2. 記録と測定値が違う例を上げて説明を行った。
    1. ① 法隆寺の心柱
    2. ② 元興寺禅室の部材
    3. ③ 紫香楽宮跡出土の柱根
    4. ④ 法起寺三重塔ヒノキ心柱
    5. ⑤ 東大寺正倉院 壁材
  3. 鷲﨑の指摘に対して、2019年5月に講演会で光谷氏が反論した内容を示し、説明を加えた。
    1. ① 新築と移築の論争
    2. ② 100年前の古材の利用
    3. ③ 100年分の外周を削り出す利用方法
      • ☑ いずれも、反論にならないことを、資料を使い説明。
    4. ④ 炭素14年代測定法と整合性があること
      • ☑ 反論で使った年代測定法で使った較正曲線に、新しい較正曲線Intcal20で適応し直してみると、間違いが明確。
    5. ⑤ 適用したパターンを示し反論
      • ☑ 示されたパターンは、単なる断片的な図で、データが全く示されていない。
    6. ⑥ 木材の部材取りを有効に行ったとすれば、問題解消する
      • ☑ 部材取りの仕方を複数の図で説明し、光谷氏説明の方法が成り立たないことを説明。
  4. 以前に行われた新井宏氏との論争、2019年の光谷講演の資料などについて経緯や内容と結論を紹介した。
2)情報提供と事前のメール交換
  1. 「IntCal20」に基づく年代較正については、ネット上に「較正年代とそのグラフが出力される便利なサイト」があるとの情報が提供された。
  2. そのサイトを使い、池上曽根遺跡と纏向遺跡のモモ核の両遺跡のデータについて、検討を行った。
  3. 纏向のモモ核に関しては、名古屋大の中村俊夫氏の発表データでは、AD136~232年の長い期間(96年間)の年代推定になったが、そのサイトで、Intcal20を適用してみると、AD212~243年(31年間)と巾の狭い期間となった。年代帯は、後にずれた。但し、誤差の巾の取り扱い方により、年代の巾に大きな違いが出て、一概に決めつけられないことも判った。
  4. 池上曽根遺跡に関しては、柱自体の計測では無く、近くに有った小枝を計測したと云う問題がクローズアップされた。
3)意見交換
4)次回のテーマなど

5月22日予定の「古事記・日本書紀・風土記の世界」では、文献史料の全体を取り扱うのではなく、

  1. ① 日本書紀にある一書の取り扱い
  2. ② 日本書紀本文でスサノオの子が大国主命とされるが古事記などでは違う

この二つの特定テーマに絞ります。基本レポート:「古事記・日本書紀の成り立ちとその違い」と「一書と天孫族・出雲族の系図」を使用予定。
https://nihonkodaishi.net/info-research/pdf/kaimei/shiryou210522.pdf

解明委員会「一書と天孫族・出雲族の系図」2021年5月 オンライン開催

2021年5月22日第6回解明委員会(テーマ:一書と天孫族・出雲族の系図)は、13:00より16:00オンライン開催された。 出席者 13名。

資料配付
  • 基本レポートの資料41頁を、2週間前に委員会メンバーに、ネット配布。
議事は、
  1. 1) 丸地より基本レポート「古事記・日本書紀の成り立ちとその違い」及び「一書と天孫族・出雲族の系図」の発表・説明が行われた。約2時間。
    • 喉の調子が悪く、度々咳込み、聞き苦しいことが多かった。(申し訳ございません)
  2. 2) 発表・説明を受けて、意見が交換された。
1.基本レポートの内容
① 今回のテーマに関して
  • ☑ 古事記・日本書紀など文献史料の全体を取り扱うのでなく、日本書紀の本文に「スサノオと大国主命は親子関係」と記されていることの真偽を主に取り扱った。
  • ☑ 史料批判に先立ち、「古事記・日本書紀の成り立ちとその違い」を明らかにし、議論の基盤とした。
  • ☑ 又、日本書紀の本文と一書(異伝)の関係を明確にした。
② 古事記・日本書紀の編纂指示・編纂完了時、巻数など基本的な事項を取りまとめ紹介
  • ☑ 現代の歴史家の評価を紹介。
    1. 古事記:日本国内向け・天皇家の歴史書
    2. 日本書紀:中国を意識した外国向け正規の日本史書
  • ☑ 日本書紀の記述の特色を挙げた。
    1. 神代上下2巻は、例外的に紀伝体で記述。
    2. 本文に加えて、異説を一書として入れたが、その量が異常に多量で、一書を抜いては、全体の意味が捉えられない、奇妙な状況になっていること。
  • ☑ 本文と一書
    1. 本文の文字数が、25%で一書のそれが75%と、一書の割合が高いこと。
    2. 本文に対して、4-5(最大11)の一書が記されていること。
  • ☑ 登場人物(神)などを古事記・日本書紀の本文・日本書紀の一書に分け一覧表の表示を行い、その違いを明示した。(可児さんの資料が、大いに役立った)
③ 天孫族・出雲族の系図の差異を示した。
  1. 日本書紀・本文では、「スサノオと大国主命は親子関係」と記した。
  2. 古事記では、スサノウの6代の子孫が大国主命で記された。
  3. 世代数の差が大きく、古事記等に記された多くの出雲系の人々の名前が、日本書紀では消し去られた。更に、出雲に関わる神話が削除された。
  4. 日本書紀では、削除された出雲系の人々の名称は、一書として、多くは記述された。
  • ☑ 日本書紀の本文については、信ぴょう性に疑念がだされた。
④ 日本書紀は「中国を意識した外国向け正規の日本史書との評価」について検討
  1. 中国の正史:新唐書と宋史にある日本に関する記述から、日本書紀との整合性が見られるか検討した処、古事記の記述が引用されており、日本書紀の記述は引用されていないことが確認された。
  2. 日本書紀は、外国を意識した日本の正史などの評価は、実質上、適切では無いことが判明した。
⑤ 日本書紀の信ぴょう性について
  1. 一例として、神功皇后紀について取り上げた。
  2. 日本書紀の一巻の全体が神功皇后に充てられた。(異例のこと)
  3. 日本書紀に記された神功皇后の事績は、外国の(中国・朝鮮半島)歴史書と対比できるものが有り、年代などから信ぴょう性の検討ができる。
  4. 古事記・中国と半島の歴史書と比較し見ると:
    • ✧ 年代が120年前のことや60年後の外国関連の出来事を意図的に取り込み、虚偽の記述をしていることが判明。
    • ✧ 古事記では、子の応神の時代として記述が日本書紀では、神功皇后の時代として記述されるなど、相違があり、疑念がある。
  5. 神代上下、神功皇后記の双方で、歴史的事実とは異なる記述が、意図的に組み込まれており、日本書紀の記述は信ぴょう性に欠けることが、明白になった。
⑥ 日本書紀から消された出雲系一族が、一書で復活している理由について
  1. 古事記・日本書紀の大和朝廷成立時の、天皇の婚姻関係、最高執政官を確認すると、天皇家及び政権担当者には、出雲系が極めて多いことが判る。
    • ✧ 神武・綏靖・安寧天皇の正妃は、事代主の娘・孫娘
    • ✧ 孝昭天皇・崇神天皇・景行天皇の正妃は、事代主の姉妹の天道日女命の子孫
  2. 日本書紀が完成し、披露された時に、「消された出雲一族」を知った出雲の血を引く、天皇一族、政権首脳、政権有力者も多かったと推定する。
    • ✧ その場合、「消された出雲一族」の反発が大きかったと推定される。強固な抗議が上がり、日本書紀が認めない動きが出たものとも考えられる。
    • ✧ その抗議を押さえるために、本文を否定する(消された出雲一族を復活させる)一書を書き連ねることで、妥協を図った結果が、現在残る日本書紀と推定される。
    • ✧ 従って、編纂者を示す前文も破棄され、別巻の系図も伝えられない事態になったと推定する。
⑦ 結論
  1. 日本書紀の本文は、信ぴょう性に欠ける。
  2. 神代上下巻の本文の内、一書で否定されている文章は、誤りである可能性が高く、一書の記述の側が正しい可能性が高い。
  3. 日本書紀・神代に記された「スサノオと大国主命は親子関係」は誤りで、古事記の記述の信ぴょう性が高いと判断する。
⑧ 付記 津田左右吉氏の神話の時代に関する認識について
  1. 日本書紀を検討する上で、役に立ったのが津田左右吉著「古事記及び日本書紀の研究 建国の事情と万世一系の思想」
  2. その中で、古代人とその伝承について「深刻な認識の誤り」を発見した。
  3. 津田左右吉は、文字が応神朝:4世紀後半に伝えられる以前の日本は、「とくに文化程度の低い時代」と評し、
    • ✧ 「暦の知識も無く」、「年数も伝えられず」、「口碑は事件の順序が混乱し」、「事件の物語が精密でなかったり」する。
    • ✧ シナ語(漢字・漢文)は、日本語と性質が異なり、学ぶことが困難で、日本語を表記し難く、数百年の困難な学習期間を経て、8世紀に初めて記紀がやっと成立した。
    • ✧ 魏志倭人伝にも言及し、文字がつかわれた痕跡は、女王の上奏文にあるが、これも、文字の判るシナ人に書かせたものと断じて、倭人・日本人の文字使用を否定。
  4. 津田左右吉氏は、神話の時代は、『伝承が信頼できない時代』と考えていたことが判る。
  5. 文字が弥生時代に使用されていた証拠があること
    • ✧ 魏志倭人伝には、魏からの詔書・檄文など多くの文書が魏から倭にしめされた事、税制・賦役、法律の存在、港での文書と品物の対応点検など、倭人が文字を使った証拠が挙げられること。
    • ✧ 文字を使った証拠である「硯」の遺物の発掘の発表が相次ぎ、北九州だけでなく、山陰から近畿など広範な地域で出土している。
  6. 津田左右吉の古代人についての認識は、誤っていることが実証された。
    • ✧ 神話の時代は、『文字が使えた文化レベルの高い時代』であり、『伝承が信頼できる時代』であることが判明した。
    • ✧ 津田左右吉の誤った認識は、現代の歴史家の常識となっている可能性が高く、深刻な問題である。
2.意見交換
  1. ① 津田左右吉の認識違いには、納得。
    • ✧ 津田左右吉の考え方は、歴史を学ぶ皆さんに刷り込まれていることに要注意。
      • ✧ 考え方としては、ひどいもの。
    • ✧ 卑弥呼の時代に朝見したが、殺し合い・戦争をやっている司馬懿仲達達が、文字も知らない蛮族に、金印・詔書など渡す訳がない。
  2. ② 日本書紀などを、ねつ造だとか、否定する人が居るが、国譲りの話、神武東征、欠史八代、神功皇后など色々ある。各々、理屈とか、事実などで裏付けがあり、神功皇后の場合も半島の方に記録もある。 国譲りの場合、崇神天皇の時に、神宝をよこせと云って、滅ぼすことが載っており、地方が歯向かったり、不都合が有った場合は、滅ぼすことが、普通の段取りだったはずにも拘らず、わざわざ、出雲の国譲りを書いたり、途中で消したり、修正かけたり、大事として書かなければいけない理由は、何故だろうか?皆さん、どう思いますか?
    • ✧ 出雲に関しては、銅鐸など考えると、王朝まで行かなくても、かなりの勢力圏があって、そこから、譲り受けた訳で、皆殺しにした訳でなく、禅譲したとか、代替わりをして、譲り受けたたわけで、大和王権の正当性を語るために、出雲についてあれほど、書かなければいけなかったと云うのが、その時代のコンセンサスだったのではないのか?
    • ✧ 出雲神話は、天孫族の海彦・山彦の話に比べ、活き活きとして、沢山・長い話ですね。この話を何故書かなければいけないのか? これは、気になる所。
    • ✧ 出雲の勢力は、一大勢力で、それだけの力を持っていた。天孫族が支配権を確立するために、目の上のタンコブと云うか、それまでの勢力として一番重要だったわけで、それを支配下に置いたと云うことは重要なことで、又、その勢力がその後も影響力を持ち続けたためではないか? 先週も講演会が有ったが、長野県の建御名方神の勢力は、諏訪でずっと勢力を持ち続けたことが話された。建御雷神は鹿島へ行き、対蝦夷の最前線を保った。関東近辺は氷川神社を始め出雲系の神社だらけで、出雲の勢力は、大和王権にとって、無視できない、宗教的にも重要な勢力だったからこそ、出雲の記述が多くなったのだと考えている。
    • ✧ 出雲勢力は極めて大きかった。中国・四国・近畿・中部から関東まで広がっており、関東は出雲系だらけ。鹿島・香取だけが天孫系でそれ以外は全部、出雲系と云って間違いない。建御名方神の諏訪神社も越後では圧倒的で、秋田まで広がっている。神武東征の直前まで、出雲系が全国を支配していた。 大和朝廷の初期の時代は、天孫族は非常に少なく、位置的には微妙。天孫族は極わずかで大和に入り、大和を制した。ごくわずかな数の天孫族で、多くの出雲族と出雲族に所属していた饒速日命の系統が、天孫族(天皇)の支配を支えた。ですから、出雲系を記紀に書かざるを得ない状況に有った。
      • ➣ これが、出雲神話を書かざるを得なかった理由と考えられる。
    • ✧ 越後のことを加えたい。弥彦神社も、主祭神が天香語山命で、出雲系とわかり、諏訪の出雲系、越後も出雲系、関東も出雲系、事代主も饒速日命も出雲系と判ると、天孫系はほんの一握りの勢力で来て、支配権を握ってしまったことになったと云うことになる。
  3. ③ 私個人は氷川神社の近くで生まれ育ち、辺りには出雲系の神社ばかりしか記憶にないのですが、天孫族・天照大御神を祀る神社は、どれだけあるのでしょうか?
    • ➣ 伊勢神宮の系統がありますが、天皇は殆ど、伊勢神宮には参拝していない。
    • ➣ 云われているほど、天孫族は広がっていなかったのでは?
    • ➣ 安本美典氏・寺沢薫氏が云うには、纏向は、鉄器の出土は少なく、九州に多い。大和朝廷成立後も、九州の方が出土する割合が多い状況がある。天孫族が九州から東征したのならば、鉄をいっぱい持って来たはずなのに、何故、畿内に、鉄の出土が少ないのだろうか? 天孫族が支配したとしても、出雲系が強かったのではないかと考える。
  4. ④ 天孫族を祀る神社が、九州では多いが、中国四国より東は、出雲系ばかりが目立つ。とは言え、関東などが、最初から出雲系であったとは云えない。関東にはいわゆる戦傷遺跡は無いが、弥生時代後半の環濠集落が出土し、その集落の多くが焼け落ちている集落が多くある。大国主命の神話では、日本全国を支配下に置くために、生涯の多くの時間を遠征に使い武力をもって支配下に置いて行ったとある。焼け落ちた集落もその時のことを物語っているのではないか? 大国主命とその前の数世代で、日本全国を遠征し、支配下に置いて行った結果として、出雲系神社が、日本全国に多く分布するのだろうと考えている。
  5. ⑤ 神社の系統から云うと八幡神社が重要で応神天皇(神功皇后の子)を祀っている。関東でも八万神社が多い。もう一つ重要な神社は稲荷神社。秦氏を祀っている。秦氏をどう理解するかも重要なことではないか?
4.最後に
動画と資料~「日本書紀・古事記・風土記の世界」の基本レポート
➤ 動画 YouTube 動画リンク
  • ✧ 「古事記・日本書紀の成り立ちとその違い」及び「一書と 天孫族・出雲族の系図」
    https://youtu.be/AqGINNxuuGI
➤ 資料

解明委員会 2021年6月 オンライン開催

2021年6月26日、第7回解明委員会(テーマ:大陸との交流「徐福論」)は、13:00 より 17:00 までオンライン開催された。出席者9名。

資料配布
  • 基本レポートの資料43頁を、6月14日に、2週間前に委員会メンバーに、ネット配布。
議事は、
  1. 1)丸地より基本レポート「徐福論」を発表。
  2. 2)発表・説明を受けて、予定時間を越える活発な意見が交換された。
1.基本レポートの内容
  1. ① 大陸との交流の重大なテーマして、徐福の渡来を取り上げた。日本の徐福の情報は曖昧な『伝説』しかないが、中国には史記に複数の記述があり、徐福村が発見され事実と認められている。弥生人=倭人が徐福由来のものか検証した。
  2. ② 縄文時代から弥生時代への変化は、急激で極めて大きく、人口・人種(体格・骨格)・言語・水田耕作・墓制・武器・土器の変化を示した。
  3. ③ ここで掲げた人種(人骨)・墓制(甕棺)・米の品種(水田稲作)についてそのルーツを辿り、その可能性の残された範囲が、全て山東半島の付け根の部分の「斉の国」に重なることを示した。更に、倭人:弥生人のY遺伝子と見られる遺伝子を持つ「陳」一族が、その時期に居たのも「斉の国」と明らかにした。この範囲に、徐福村が存在する。 但し言語に関しては、多言語国家の中国では消失した言語が多く、日本語のルーツは辿れないとした。
  4. ④ 人口の増加に関しては、定説となっている小山修三の人口理論に準拠すると、論文発表以降に発掘された大量の数の遺跡など加味して、見直しを計ると、魏志倭人伝の示す人口が「多大過ぎることは無い」ことを示し、弥生時代の急激な人口増加を改めて示した。更に新たな人口拡大モデルを作りシミュレーションを行うと、縄文の村が消え弥生の村が拡大し、弥生の言語が母国語となる過程が示された。縄文人・弥生人の二重構造論の通りとなる結果が示された。
  5. ⑤ その外、一時期に多数の人の渡来を可能とする大型帆船の建造を可否も、中国に同時期の大型造船遺跡があることから、可能であったことをしめした。又、倭人:弥生人が渡来当初より漢字を使用できたことを示す考古学的資料(硯と文字付土器)が存在することを示した。
  6. ⑥ 結論:縄文時代から弥生時代の急激な変化の人種的・文化的ルーツが中国山東半島付け根の「斉の国」にあり、中国側の文献・考古資料とも一致し、徐福一行が、日本人のもう一つの起源になったことを事実で確認できたとした。
2.意見交換
動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
大陸との交流 「徐福論」 解明委員会⑦ 基本レポート
➤ 資料✧大陸との交流 「徐福論」
大陸との交流「徐福論」PDF

解明委員会2021年7月 オンライン開催

2021年7月31日、第8回解明委員会(テーマ:日本人の起源「沖縄の古代歴史の真実は?」)は、13:00 より 17:00 までオンライン開催された。 出席者10名。

資料配布
  • 基本レポートの資料49頁を7月24日に委員会メンバーにネット配布。
  • 港川人の mtDNA 解析記事と沖縄タイムスの DNA 解析の記事に関しては、配布せず、当日その場で提示。
議事は、
  1. 1)丸地より基本レポートとして「沖縄の古代歴史の真実は?」を発表。
  2. 2)関連するトピックスとして、
    1. 読売新聞と朝日新聞に掲載された港川人の mtDNA 解析記事について
    2. それ関連した沖縄タイムスの DNA 解析の記事について
    を紹介し、各々の元となる英文論文を読んで解析した結果を発表した。

発表・説明を受けて、意見が交換された。

1. 基本レポートの内容
  1. 1)「沖縄の古代歴史の真実は?」
    1. ① 日本最古の人骨が続々と発掘される沖縄は、日本人の起源を探る上で極めて重要な地点ですが、現在有力な沖縄の歴史では、沖縄に到来した古代人は絶滅し、沖縄の住人は、縄文時代と弥生以降の歴史年代に九州から移住した人々とされている。この有力な沖縄の歴史が本当なのか、検討した。
    2. ② 沖縄は、日本最古の人骨が続々と発見され、日本人の起源を探る焦点の地域で、フィリピン・日本本土との間にある位置関係を説明。沖縄独自の丸木舟サバニ(現在は板材の剝ぎ舟:構造船)が世界的に優れた船型であったこと及び帆走可能なことから、沖縄諸島の間だけでなく、黒潮の流れを越えた交易を可能とした利器であったことを紹介。1万4千年前に作られた丸ノミ型石斧は丸木舟建造用の専用具であった。
    3. ③ 現在有力な沖縄の歴史は、発見される古代人はある時期に死に絶え、九州島から縄文人・弥生人が南下渡来し、沖縄人になったとするものであることを紹介。人骨に残るハリス線が、「死に絶えた」証拠とされていること、沖縄の土器は九州由来のものであることなどを紹介。
    4. ④ 「死に絶えた」論が成り立たないことを説明。
      • ✧ 最新の人骨発掘結果や、気候・海面高さ・島の面積広大時期、沖縄由来の丸のみ型石斧(丸木舟のサバニの削り出し用石器)の出土、出土した土器の編年の連続、などから証明。
      • ✧ 更に、九州側には、九州から移住したとされる時代には、複数回の巨大火山噴火の結果、住民の絶滅が科学者の一致した意見。複数の火山被害の間の時期に見られる遺跡の文化は、いずれも、本土には無い、南方の文化で、沖縄からの流入が示唆されるもの。
      • ✧ 九州には、人が居なくなり、黒潮を越えて南下する処では無かった。逆に、沖縄から南の文化を持った沖縄人が到来し、九州で文化を開花させ、そこで作られた土器を、沖縄に持ち帰ったとする方が、自然な理解であるとした。
    5. ⑤ DNA遺伝子の関連では、沖縄は縄文人由来のY遺伝子が多く残るが、弥生人由来の遺伝子も一定量存在するが、宮古島に集中ししかも極めて古いことが発表されている。 これは注目に値するとした。更に、宮古島を中心に、古い日本語が、琉球語として残っていることを指摘。
    6. ⑥ 結論として、沖縄の歴史は、現在有力な歴史の主張する「死に絶えた」論は、成り立たず、古代からの人が生き続け、九州や本土に交易・移住などを通じて大きな影響を与えたとした。更に、DNAなどの面では、古いタイプの弥生人が居たものと考えられる点が興味深い疑問点として残された。
  2. 2)港川人のmtDNA解析記事
    • ☑ 読売新聞の記事は「旧石器時代の「港川人」、現代日本人と直接つながらず」とあり、朝日新聞は「ご先祖は、2万年前の港川人? DNA解析、日本人につながる可能性」と正反対の記事を掲載した。上記の発表に関わるため、調べて、追加発表を行った。ニュース・ソースは、英文雑誌に港川人のmtDNAの解析論文が掲載されたとするニュース・リリースらしい。この違いを解明するため、リリースや関連情報及び、英文の記事を入手し、翻訳し検討した結果を紹介した。
      • ☑ 論文は複数著者の共著で、著者間で、結果の解釈に違いがあったものが、正反対の記事となったと推測した。
      • ☑ 港川人のmtDNAは祖先型のハプログループMで、それは、極めて古い東アジア人の祖先集団のものと判明した。余りにも古いタイプのmtDNAで、比較的新しい約2万年前で、アジアの中心から離れた沖縄であることを考ええると、東アジアの祖先型であったことが、著者達には納得が行かず、中途半端な記述と、ニュース・リリースになったものと推測。
      • ☑ 港川人が縄文人に繋がると考えると、余りにも古いタイプのmtDNAのハプロタイプも、「北東アジア人・東南アジア人の共通祖先から極めて古い時代に分化」したと考えると、納得できるもの。核ゲノムも細胞内細胞内小器官のmtDNAのゲノムも同じ結果を示したと云える。
      • ☑ そう考え、論文を見直し、ニュース・リリースと比較してみると、リリースでは概要の系統樹だけを提示していたが、論文には詳細な系統樹があり、祖先型ハプログループMの系統に入るハプログループに属するものを持つ現代の滋賀・長浜市民2千人の内4人居る。沖縄では、比率は多いのではと思われる。又、論文にあるネットワーク系統樹を見ると、祖先型Mから派生した分岐に日本の縄文人や東アジア人が存在し、貴重なmtDNAだったと判る。
      • ☑ 中途半端なニュース・リリースにより、正反対な記事となったが、論文を読み、評価し直すと、朝日新聞の記事が正しいことが判った。
  3. 3)沖縄タイムスのDNA解析の記事
    • ☑ 2014年に沖縄タイムスに記載された記事は、『沖縄の人々、ルーツは「日本由来」南方系説を否定』。以前、この記事の間違いを指摘したが、今回、ベースとなった英文論文を探し、日本語に翻訳し、検討した。
    • ☑ 記事内容は、沖縄本島・八重山・宮古島の人350人のDNAを採取し配列を分析、宮古・八重山の人々の祖先が沖縄本島から移住したかを調べた処、数百年~数千年と推定され、宮古・八重山で発見された最古の人骨の人々ではないことを示したと記し、最古の人骨が、現代人につながらないとした。
    • ☑ ニュース・リリースなど核ゲノムの解析内容と図では、宮古島・八重山・沖縄本島・本土日本人・韓国人・中国人の住人を対比し、類似度は、沖縄本島→宮古島→八重山→本土日本人→韓国人→中国人となることを示し、興味深い結果を示している。
    • ☑ しかし、論文を検討すると、「中国の漢族から琉球人が分岐した」とするモデルを作り、検証し、「沖縄本島から宮古島・八重山に移住した」とするモデルを作り、検証したとしている。
      • ☑ 沖縄人のY遺伝子は、65%は縄文人由来、14%が弥生人由来、17%が漢人由来で、宮古島の住民のY遺伝子は、6%が縄文人由来、94%が弥生人由来との調査結果が出ており、論文のモデル「中国の漢族から琉球人が分岐した」は成り立たない。又、沖縄本島から移住したとするモデルも成り立たない。別のモデルが検討されるべき。
      • ☑ 前述の神澤秀明氏の解析結果によれば、縄文人の祖先から、漢人を含む北東アジア人は分岐しており、逆に沖縄人から漢人が分岐したとのモデルが検証されるべきであった。(それは、4万年以上前になると考えられる。)
      • ☑ 成り立たないモデルで算出した結果は、勿論、信頼できない。ゲノム解析の結果の怖い処は、誤ったモデルでも、それらしい数値が答えとして出てくるところにある。
2. 意見交換
動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
解明委員会⑧ 日本人の起源「沖縄の歴史」 
  1. 1)基本レポート 1時間36分
    https://youtu.be/_UHK5qQt6YU
  2. 2)mtDNA解析記事 読売と朝日 55分
    https://youtu.be/9uMYuXsBYKc
  3. 3)沖縄タイムスのDNA解析記事を否定する 23分
    https://youtu.be/NriKaOW5SdY
➤ 資料✧日本人の起原「沖縄の歴史」
  1. 1)基本レポート「沖縄の歴史の真実は?」PDF
  2. 2)港川人DNA記事 読売と朝日 PDF
  3. 3)沖縄タイムスのDNA日本由来説PDF

解明委員会2021年8月 オンライン開催

2021年8月28日第9回解明委員会(テーマ:弥生時代から古墳時代「神武東征」)は、13:00より16:45オンライン開催された。 出席者 14名。

資料配布
  1. 1)2/27日の「弥生時代~古墳時代」の基本レポートの委員会に引き続き、個別テーマについて実施と云うことで、神武東征について委員の中から発表者を求めた処で、3名の方が発表することになった。
  2. 2)8月18日に開催の案内と共に、飯田氏の資料、8/21日に伊藤氏の資料、8/23日に可児氏の資料を会員に送付。
議事は、
  1. 1)3名の発表者が、各々30-40分間発表を行った。
    1. ① 神武東征の事実解明 可児俊信
    2. ② 神武東征の動画とその前提 伊藤雅文
    3. ③ 神武東征の謎を解く 飯田真理
  2. 2)3名の発表者終了後、質疑応答に入り
    1. ④ 丸地の方から、3者の発表への意見を述べ質問
      • 3名の発表者から各々回答を得た。
    2. ⑤ 参加した委員の方からの質問と回答があった。
1. レポートの内容:
  1. ① 可児俊信さんの「神武東征の事実解明」は、下記をもとに神武東征論を展開した。
    • 文献・・・記紀、先代旧事本紀、魏志倭人伝
    • 考古学の知見・・・集落、土器、稲作、古墳、銅鐸・銅鉾 他
    • 神社由緒
  2. ② 伊藤雅文さんは、
    • 動画に先立ち、前提条件を紹介した。
      • ☑ 日本書紀の年代論の方法論を説明、
      • ☑ 「山幸彦・神武天皇・崇神天皇の同一人物説」
    • 自作の公開されている動画を見せた。
  3. ③ 飯田真理さんは、
    • 以下の順に話をされた。
      • ☑ ニニギ尊の降臨
      • ☑ 神武東征
      • ☑ 邪馬台国の東遷とヤマト王権の成立
    • 飯田さんも、伊藤さん同様に「山幸彦・神武天皇・崇神天皇の同一人物説 」をとる。
    • 饒速日命(ニギハヤヒ)は、神武東征以前にヤマトに天下っており、後継ぎのいなかったニギハヤヒの後継者として、神武はヤマトにに迎えられたとの論を展開した。
2. 意見交換
  • 司会者の丸地から次のような意見と各発表者に質問が出された。
    弥生時代の区分と年代の図を示し、更に、戦傷遺跡分布図・高地性集落分布図・青銅祭器の型毎の年代区分図・各型ごとの分布図等を示し、考古学遺物と年代区分を明示。
    1. ① 可児俊信さんへは、神武東征の時期? 戦傷遺跡・高地性集落等への意見を尋ねた。
    2. ② 伊藤雅文さんへは、伊藤説では、山幸彦・神武天皇・崇神天皇の同一人、初代天皇AD301年即位、天照大神/素戔男尊の生誕年代はAD175/190としている。その前提で、AD57年に金印を授与された倭奴国王をどう考えるのか?などを質問。
    3. ③ 飯田真理さんには、饒速日が大勢の従者を連れて平和裏に大和へ降臨したならば、大和に鉄製品・大型鏡・九州の土器が少ないのは何故か? 等を質問
  • この質問に対して、3人の発表者から回答があった。
  • 又、参加者から、天孫降臨した先の土地の記述に関して、古事記と日本書紀の違いを上げ、この解釈を求めた。飯田さんから明快な回答があった。
動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
弥生時代から古墳時代「神武東征」 解明委員会
  1. 1)神武東征の事実解明 可児俊信 37分
     https://youtu.be/AHUWP3px_FA
  2. 2)神武東征の動画とその前提 伊藤雅文 33分
     https://youtu.be/KU8N9qlN6aU
  3. 3)神武東征の謎を解く 飯田真理 40分
     https://youtu.be/G6ULFYppfj8
  4. 4)意見と質問/質疑応答 1時間22分
     https://youtu.be/iCAIv9VrnQ8
➤ 資料 弥生時代から古墳時代「神武東征」
  1. 5)神武東征の事実解明 可児俊信 PDF 約 2.7MB
  2. 6)神武東征の動画とその前提 伊藤雅文 PDF 約 0.4MB
  3. 7)神武東征の謎を解く 飯田真理 PDF 約 2.4MB
  4. 8)意見と質問/質疑応答 PDF 約 10.8MB

解明委員会2021年9月 オンライン開催

2021年9月25日第10回解明委員会(テーマ:邪馬台国論「唐津上陸説に根拠は有るのか?」)は、13:00より16:55オンライン開催された。 出席者 10名。

資料配布:
9月13日に開催の案内と共に、村上政利さんと丸地の資料を公開。
テーマ:
「唐津上陸説に根拠はあるか?」

3/27日の「邪馬台国論」の『邪馬台国の探し方』基本レポートを継承し、魏の使者の九州上陸地点について検討した。多数の邪馬台国論者は、唐津付近を上陸地点としているが、基本レポートで検討した魏の使者の性格と人数から、唐津説には合理性が無い可能性があり、賛否両論を戦わせる予定だった。
唐津論者が途中で自説を変更し、糸島地区上陸説になり、所期の展開とは異なったものになった。

議事は:
論者の村上さんが、オンライン参加が遅れたため、予定変更し、丸地か説明を行い、その後参加した村上さんが自説の紹介を行った。その後、発表者2名及び参加者の間で、議論が行われた。
1. レポートの内容
  1. ① 丸地のレポートでは、
    • 三国志の記述から、呉と魏の間の戦略外交で、数万人の兵が移動しており大型帆船が使われていたことは明らかで、倭国へ来た魏の使者が、大型帆船を使えた。その前提で、数百人~千人規模の使節団を想定する。ルート・陸行の可否などから唐津上陸は成り立たない。博多湾への上陸が適切な解となる。
    • 現在は水深の浅い博多湾のままでは、大型船の入港が困難だが、古地図・地殻変動(地震・断層)・考古資料などから当時の博多湾は十分な水深を持ち、大型帆船の入港が可能であったことを示した。
    • 新井白石等が唐津上陸の根拠とした古事記・日本書紀の記述について言及し、神功皇后が鮎釣りをした場所を白石は唐津と解釈して唐津説としたが、歴史的観点から見直すと、同一の場所では無いことが判明。唐津説の根拠にならないことを指摘した。
    • 博多上陸説の場合の、邪馬台国所在地や陸行水行の旅程の解釈についても論を述べた。
  2. ② 村上さんのレポートでは、
    • 大型帆船で、大人数の使節が来た場合には、唐津上陸は意味がない。
    • 博多湾上陸は、大型帆船には無理とした。理由は、博多湾を形作る海の中道が、2000年前には砂洲が完成しておらず、海が繋がっており乱流が発生していた可能性大。その場合、入港・停泊が困難。又、博多湾から朝鮮半島への帰還することが、対馬海流で、困難などを挙げた。
    • 魏の使者は、博多湾には上陸せず、糸島半島の西側の船越湾で上陸し、小舟に分乗して、半島の狭い部分を越え、水路・海路を経て太宰府の方へ行ったと推定。これが、帰りも安全なルートだった。
2. 意見交換
  • 狗邪韓國からのルート想定・外海を航海するには平底の船・魏の2回目の使者「張政」の場合のルートと船・湾内での大型帆船の停泊方法 などの論議がおこなわれた。動画は省略します。
動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
邪馬台国論-「唐津上陸説に根拠はあるか?」 解明委員会
  1. 1) 邪馬台国論-「唐津上陸説に根拠はあるか?」 丸地三郎
     https://youtu.be/Nv_jtmn1YaU
  2. 2) 糸島・船越湾上陸説 村上政利
     https://youtu.be/YuwMieh2Ccc
➤ 資料 邪馬台国論-「唐津上陸説に根拠はあるか?」
  1. 1) 邪馬台国論-「唐津上陸説に根拠はあるか?」
     丸地三郎 PDF 13MB
  2. 2) 正規版-「唐津上陸説に根拠は有るのか?」
     村上政利 PDF 1.8MB

解明委員会2021年10月 オンライン開催

2021年10月9日 第11回解明委員会(科学的年代測定法とその適用「年代測定法の相互関係と課題」)は、13:00より15:00オンライン開催された。出席者 10名。

テーマ:「年代測定法の相互関係と課題」

科学的年代測定法について、全容・概要を知りたいとの希望に応えて、測定法の種類・各々の概要・相互関係について、紹介を行う。

1. レポートの内容
  • 丸地から、説明資料を示しながら、科学的年代測定法について、その概要と効果を紹介。
  • 古代史に使われる代表的な3つの方法について紹介。
    • ☑ 概要・特徴
    • ☑ 外の測定法との関連
2. 意見交換
  • 「年輪が怪しいと思っていたが、炭素も酸素も怪しい。判った。」
  • ポイントは、非科学的→情報公開
    • 国民の税金で研究した結果は、国民のもの。情報公開 → 頑張ろう!

などの意見が続いた。

動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
科学的年代測定法とその適用「年代測定法の相互関係と課題」 解明委員会
  1. https://youtu.be/qGTlE4j44DI
➤ 資料 科学的年代測定法とその適用「年代測定法の相互関係と課題」
  1. 1) 「科学的年代測定法」~年輪・炭素14・ 酸素同位とその関連
     丸地三郎 PDF 9.3MB
  2. 2) 委員情報・サバニ・海流の頁紹介 PDF 2.5MB