最終更新日:
2024/09/21

古代史を解明する会(解明委員会)

活動記録 バックナンバー 8

44.「日本語・琉球祖語から見た日本人の起源」(2024年9月14日)

第44回古代史を解明する会は 2024年9月14日 13:00 よりオンライン開催された。出席者6名。

テーマ
「日本語・琉球祖語から見た日本人の起源」

日本語・琉球祖語から見た日本人の起源~「日本語・琉球諸語による歴史比較言語学」の出版を機会に、『歴史比較言語学』の「成果」を紹介する記事として、著者の一人トマ ペラール氏へのインタビュー記事が出た。今回はその書籍の紹介ではなく、「歴史比較言語学の成果」を紹介するインタビュー記事を取り上げた。

<構成>
  1. 丸地三郎氏による資料「日本語・琉球祖語から見た日本人の起源」の解説
  2. 質疑応答
1 丸地三郎氏による資料「日本語・琉球祖語から見た日本人の起源」の解説

「日本語・琉球諸語による歴史比較言語学」が出版され、そのインタビュー記事では、比較言語学の研究成果から、以下の4点が示された。なお、琉球諸語は、沖縄・奄美の言語の総称である。

  1. (中国大陸から)日本語・琉球諸語の祖語を持った民族が、水田稲作をもって朝鮮半島へ移動した。根拠は日琉祖語の単語の半島への残存。
  2. 半島から日本へ移住した。
  3. さらに九州から琉球へ移動した。
  4. 稲作が日本列島に伝えられた紀元前10世紀から紀元後3世紀頃の時点では、水田稲作用語は、日本語と琉球諸語は分岐しておらず、日本語と琉球諸語は、その後の3~6世紀に分岐した。
① への反論
2023年8月の当会の資料32.「古代朝鮮と日本の歴史」を示し、根拠の単語残存時期の7世紀以前に、稲作の弥生人が長期間、日本から朝鮮半島へ移住したことが歴然としてあり、単語残存は、朝鮮半島が先とする証拠となり得ない。
② への反論
弥生渡来民が水田稲作を、直接日本に広めた。日本から弥生渡来民が半島へ移住し、稲作を広めた。「古代朝鮮と日本の歴史」では、この事実を示した。
③ への反論
水田稲作をもって沖縄へ進出したとし、著者の一人は、九州・琉球諸島では、言語がマトリョーシカ分布(複数の言語か入れ子状に分布し交わっていない状態)しており、九州から民族が移動したとしているとの根拠を示しているが、実際には、本土との貝製品の活発な交流は存在したが、沖縄に稲作が広まった痕跡は存在しない。稲作が始まったのは早くとも10世紀または島津支配以後である。
④ への反論
水田稲作が行われていなかった紀元前10世紀から紀元後3世紀頃の時点では、沖縄では水田稲作に関する語が存在せず、分岐の論議自体が成り立たない。

トマ ペラール氏の8世紀の時点では、日本語と琉球語は分岐していたとの論文の結論は高く評価するが、インタビュー記事は、論拠が成り立たない。

最近の古代人DNA解析など、複数の論拠から、かなり古い時代に、琉球諸語の話者が、本土より先に琉球諸島に到来していたことが推察されることが示された。

2 質疑応答
  • 沖縄は石灰岩の土地であるうえ、津波・台風もあることから遺跡が残りにくい
  • 用語(西北九州縄文人、倭人、弥生等)の定義を明確にすることで、議論が明確になる
  • 黒潮があるため、鹿児島から沖縄列島に行くのは紀元前後の技術的に難しい
動画と資料
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