最終更新日:
2024/11/17

古代史を解明する会(解明委員会)

活動記録 バックナンバー 8

44.「日本語・琉球祖語から見た日本人の起源」(2024年9月14日)

第44回古代史を解明する会は 2024年9月14日 13:00 よりオンライン開催された。出席者6名。

テーマ
「日本語・琉球祖語から見た日本人の起源」

日本語・琉球祖語から見た日本人の起源~「日本語・琉球諸語による歴史比較言語学」の出版を機会に、『歴史比較言語学』の「成果」を紹介する記事として、著者の一人トマ ペラール氏へのインタビュー記事が出た。今回はその書籍の紹介ではなく、「歴史比較言語学の成果」を紹介するインタビュー記事を取り上げた。

<構成>
  1. 丸地三郎氏による資料「日本語・琉球祖語から見た日本人の起源」の解説
  2. 質疑応答
1 丸地三郎氏による資料「日本語・琉球祖語から見た日本人の起源」の解説

「日本語・琉球諸語による歴史比較言語学」が出版され、そのインタビュー記事では、比較言語学の研究成果から、以下の4点が示された。なお、琉球諸語は、沖縄・奄美の言語の総称である。

  1. (中国大陸から)日本語・琉球諸語の祖語を持った民族が、水田稲作をもって朝鮮半島へ移動した。根拠は日琉祖語の単語の半島への残存。
  2. 半島から日本へ移住した。
  3. さらに九州から琉球へ移動した。
  4. 稲作が日本列島に伝えられた紀元前10世紀から紀元後3世紀頃の時点では、水田稲作用語は、日本語と琉球諸語は分岐しておらず、日本語と琉球諸語は、その後の3~6世紀に分岐した。
① への反論
2023年8月の当会の資料32.「古代朝鮮と日本の歴史」を示し、根拠の単語残存時期の7世紀以前に、稲作の弥生人が長期間、日本から朝鮮半島へ移住したことが歴然としてあり、単語残存は、朝鮮半島が先とする証拠となり得ない。
② への反論
弥生渡来民が水田稲作を、直接日本に広めた。日本から弥生渡来民が半島へ移住し、稲作を広めた。「古代朝鮮と日本の歴史」では、この事実を示した。
③ への反論
水田稲作をもって沖縄へ進出したとし、著者の一人は、九州・琉球諸島では、言語がマトリョーシカ分布(複数の言語か入れ子状に分布し交わっていない状態)しており、九州から民族が移動したとしているとの根拠を示しているが、実際には、本土との貝製品の活発な交流は存在したが、沖縄に稲作が広まった痕跡は存在しない。稲作が始まったのは早くとも10世紀または島津支配以後である。
④ への反論
水田稲作が行われていなかった紀元前10世紀から紀元後3世紀頃の時点では、沖縄では水田稲作に関する語が存在せず、分岐の論議自体が成り立たない。

トマ ペラール氏の8世紀の時点では、日本語と琉球語は分岐していたとの論文の結論は高く評価するが、インタビュー記事は、論拠が成り立たない。

最近の古代人DNA解析など、複数の論拠から、かなり古い時代に、琉球諸語の話者が、本土より先に琉球諸島に到来していたことが推察されることが示された。

2 質疑応答
  • 沖縄は石灰岩の土地であるうえ、津波・台風もあることから遺跡が残りにくい
  • 用語(西北九州縄文人、倭人、弥生等)の定義を明確にすることで、議論が明確になる
  • 黒潮があるため、鹿児島から沖縄列島に行くのは紀元前後の技術的に難しい
動画と資料
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45.「土井ヶ浜遺跡の人骨DNA解析結果」(2024年11月9日)

第45回古代史を解明する会は 2024年11月9日 13:00 よりオンライン開催された。出席者7名。

テーマ
「土井ヶ浜遺跡の人骨DNA解析結果」

土井ヶ浜遺跡の人骨DNA解析結果「土井ヶ浜遺跡の弥生人の遺伝子解析により、日本列島への移民の起源に関する知見が得られる」 発表論文の論評

<構成>
  1. 丸地三郎氏によるプレスリリースされた論文の紹介と論評
  2. 質疑応答
1 丸地三郎氏によるプレスリリースされた論文の紹介と論評
  • 2024年10月に東邦大・東大等の研究者による「土井ヶ浜遺跡の人骨DNA解析結果」が発表され、以下の2点が報告されている。
    1. 土井ヶ浜のゲノムデータが弥生時代人の代表である。又、従来、代表扱いされた下本山岩陰遺跡のゲノムデータは弥生時代人の代表ではない。
    2. 弥生時代に渡来した人が、縄文人と混血し、現代日本人の祖先集団が誕生したが、その渡来元が朝鮮半島であるとした。
東邦大学プレスリリース(発行No.1410 令和6年10月15日)
「弥生時代人の古代ゲノム解析から渡来人のルーツを探る」
https://www.toho-u.ac.jp/press/2024_index/20241015-1410.html
英文論文(「Journal of Human Genetics」誌掲載)
「Genetic analysis of a Yayoi individual from the Doigahama site provides insights into the origins of immigrants to the Japanese Archipelago」
https://www.nature.com/articles/s10038-024-01295-w

この2点に付いて論評

① については高く評価する。
  • その三重構造論は、DNA解析した論文が契機となっている。
  • その論文では、弥生を代表するゲノムデータとして、下本山岩陰遺跡人のものを採用したことから成り立っていた。
  • 弥生人を代表するゲノムデータが変わることで、三重構造論は否定される。
  • もともと、下本山岩陰遺跡人のDNA解析した論文には、弥生人を代表しないと記載されていた。
② については、論文主旨を否定する。
  • 発表論文では、土井ヶ浜弥生人と遺伝的に最も高い類似性を示したものが古韓国人集団のDNAであることを理由としている。
  • しかし、古韓国人集団について、概要も年代も示さず、断定しており、理由・証拠にはならない。
  • そこで、論文の著者に問い合わせ、概要・年代について知らせてもらい、確認した処、
    • 出土遺物は、日本人由来の甕棺/前方後円墳であった。
    • 古韓国人集団の金海/郡山のDNA採取遺跡の位置が判明し、年代は1700年前~1500年前と判明した。
    • 古韓国人集団の金海/郡山の出土人骨で、Y-DNAは、日本人を代表するD1a/O1b2で、mt-DNAも日本の弥生人に多い型が検出された。
    • 土井ガ浜人のDNAが2300年前であり、600年以上後であることから、日本から半島に渡った集団と考えることが妥当。
  • 土井ガ浜人よりも古韓国人集団が時代的に、同時期又は前ならば、論文著者の理由は成り立つが、600年以上後の時代では、理由として成り立たない。

古代の日本と韓国の交流の見直しについて、2023年8月に発表した資料を改めて掲げ、解説し、否定する理由・背景を説明した。

2 質疑応答
  • 土井ヶ浜だけのデータで結論づけては、誤る可能性がある。
    • ANS:土井ヶ浜以外からの同様のデータもあり、複数のDNAデータから結論づけている。当論文以外にも、複数の弥生人のDNAの論文が発表されており、妥当な評価と考える。
  • 半島は最近まで米も作れなかった地域であり、そこに住んでいた人が、水田稲作をもって日本列島に来たというのは考えにくい。
  • 当時のことを議論するには、当時の地形・地図を前提にすべき。
  • 弥生・縄文人は、時代と形質を分けて議論しないと議論が進まない。
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