最終更新日:
2023/09/25

古代史を解明する会(解明委員会)

活動記録 バックナンバー 6

32.「古代朝鮮と日本の歴史」(2023年8月12日)

2023年8月12日 32回 古代史を解明する会「古代朝鮮と日本の関係」は、13:00よりオンライン開催された。出席者10名。

テーマ
「古代朝鮮と日本の歴史」

5月度に引き続き、古代朝鮮の歴史を改めて振り返る。従来の考古学の常識では、人・物・文化は全て朝鮮半島から日本へ移動したとされてきた。韓国の教科書など韓国側の資料や、日本側の特に九州関係の論文・書籍を見直し、最近の弥生土器に関する研究成果を加味すると、稲作、土器、文化等は朝鮮から一方的に日本に伝播したのではなく、日本から朝鮮への伝播が多かったことが分ってきたので、最新研究成果を報告する。

<構成>
  1. 丸地三郎氏によるPPTを用いた解説と古代朝鮮に関連する課題へのコメント
<1 解説>動画あり
  • 韓国における古代史認識を教科書から確認すると、古朝鮮のエリアは遼東・満州・北朝鮮の領域に限定されおり、半島南部は歴史的に空白となっている。
  • 紀元前6000年以降は,朝鮮半島全域に、石器・日本産黒曜石・縄文土器が出土し、九州と同じ縄文人が居住していた。半島の土器は、九州南部で1万年以上前から出土するタイプの縄文土器と類似。(東北産の縄文土器とは異なる。)
  • 7300年前の鬼界カルデラ爆発以降、九州・熊本の轟式土器が、山陰・山陽と朝鮮半島半部へ拡散。紀元前5000年頃(7000年前)、櫛目文土器が朝鮮半島全土に瞬く間に広がった。
  • 中国歴史書では、紀元前1046年以降に、中国の殷王朝の一族が、古朝鮮を成立させたとする。古朝鮮のエリアは戦争に長けた中国からの移民が支配。その地域に居た縄文人は南へ退避したものと推定される。
  • 空白とされていた朝鮮半島南西部には、中国長江下流域から水田稲作・支石墓が伝播した。その中心的な遺跡が松菊里遺跡であった。その松菊里から水田稲作、支石墓、青銅製剣が日本に伝わった。
  • 松菊里から水田稲作・支石墓等が伝わった日本の九州北部では、土器に関しては、日本在来の縄文土器の発展形である突帯文土器が使われ、半島からの土器では無かった。水田稲作を伝えた主体は縄文人であった。
  • その後、別途、水田稲作を持って倭人が渡来し、弥生渡来人となり、弥生土器と文化が伝わった。
  • 朝鮮半島では、出土数の少なかった弥生系土器であるが、近年半島南部の勒島遺跡などで発掘調査が行われ、出土例が劇的に増加し、考古学として統計処理の適用が可能となり、新たな論文が生まれた。その結果、城ノ越式/須玖I/II式などの弥生式土器=遠賀川式土器が、九州から壱岐島・原の辻遺跡を経由し半島南部の勒島遺跡に移動したことが判明した。
  • 紀元前から倭人が移住し、日本から朝鮮半島南部へ弥生式土器、文化が流入した。
  • 朝鮮歴史書「三国史記」には複数の倭人が新羅王となったことが記されている。
  • 以上のことを踏まえて、半島と日本の関係を、年代と地域の両面から分かる年表を提示した。
  • 朝鮮半島と日本の交流を見直すと、① BC6000から、日本・九州から縄文人が半島へ。② BC850~300年の時期に中国長江河口流域から水田稲作・支石墓等が朝鮮半島南部の松菊里に伝わり、その水田稲作・支石墓が縄文人によって九州北部へ伝えられた。③ その後、倭人が別の水田稲作技術と弥生文化を持って九州及び日本へ渡来し、縄文人を退け、主体となった。弥生土器及び弥生文化は、九州北部から壱岐を経由して、半島南部へ流入した。
  • 従来、「朝鮮半島から日本へ」一方的に文化・技術が伝播したとされた常識が覆り、縄文・弥生時代から古墳時代開始時期までの時代では、「日本から朝鮮半島へ」の流れが主であった。

こうした知見から、提起されている課題にコメントした。

  • キビ・ヒエ・アワは、縄文人が、イネ(熱帯ジャポニカ米)を含めて日本で先に栽培しており、「日本から朝鮮へ」伝播した。
  • 縄文から弥生への移行に際して、朝鮮半島からの渡来人の役割はとの課題については、一次の水田稲作は、「半島から日本」へ来たので、影響は有ったが、それ以降の二次の水田稲作の到来時には、一次到来の稲の品種は廃絶され、影響が無くなり、弥生時代に入ってからは、「日本から半島へ」弥生土器などの文物が伝播した。従って、渡来人が日本へ与えた影響は限定的。
  • 縄文・弥生の時代には、朝鮮からの遺伝学的影響は無い。また、騎馬民族渡来説はあり得ない。
  • 大和政権の成立・発展期には、文物の流れは、「日本から朝鮮へ」で、朝鮮からの影響はない。
  • 記紀にある半島からの渡来人の影響は限定的。出雲一族も半島との交流は限定的。
  • これまでの一方的な半島からの流入という見方を考古学的にも改めるべき。
動画と資料
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33.「西遼河起源説とその撤回要請及び朝鮮半島と日本に関する2冊の書籍:論評」(2023年9月9日)

2023年9月9日 33回 古代史を解明する会「西遼河起源説とその撤回要請及び朝鮮半島と日本に関する2冊の書籍:論評」は、13:00よりオンライン開催された。出席者12名。

<構成>
  1. 丸地三郎氏によるPPTを用いた解説
  2. 解説に対する質疑応答
<テーマ>
「西遼河起源説とその撤回要請及び朝鮮半島と日本に関する2冊の書籍:論評」

西遼河を起源とするトランスユーラシア言語が日本語の起源であるとする学説が、2021年に発表された。
しかし、2022年に多くの学者から、その学説を撤回するよう要望が出された。
まず、その学説の基となったと思われる2冊の著作を論評する。
後半では、学説の問題点を洗い出す。

<1 解説>動画あり
1-1 学説の元となった書籍「古代日本と朝鮮半島の交流史」(西谷正)
  • 旧石器時代から、人、石器、原始農業、土器、墓制、住宅、環濠集落とも朝鮮半島から日本に一方的に伝播したと主張
  • 氷河期でも朝鮮半島と日本は陸続きではなかったことが踏まえられていないうえ、主張が一方的
1-2 学説の元となった書籍「農耕の起源を探るーイネの来た道」(宮本一夫)
  • 日本への稲作は、南方からでもなく、中国・江南からでもなく、大陸経由朝鮮半島から伝播ルートのみと主張
  • 各伝播ルートの検証が不十分なうえ、日本から朝鮮半島に伝播した出土物が無視されている
1-3 西遼河起源説とは
  • 言語的・考古学的・遺伝的根拠(多角的であることから三角測量と呼称)をもとに、西遼河を起源とするトランスユーラシア語が、日本語の起源であるとする説
  • 2021年にドイツ等の国際チームがネイチャー誌に発表。日本の研究者も名を連ね、毎日新聞が大きく報道
1-4 同説の問題点
  • データセットは開示されており検証ができるが、根拠が不明瞭。
1-5 同説への反論
  • 仏言語学者トマ・ペラール氏が来日し反論すべきとセミナー開催
  • 言語学的問題点 言語間で共通する単語はわずかしかない
  • 遺伝学的問題点 日本人と韓国人の遺伝的形成モデリングが内部矛盾している
  • 考古学的問題点 遺跡の系統樹の根拠が不明

以上により論文撤回を勧奨

<1 質疑応答>
2-1 Q 氷河期には朝鮮半島との間に陸橋があったと考える
A 半島と対馬の間に幅10km以上の水路があったことが最新研究で確定
2-2 Q 朝鮮半島南部と日本は国境がないので同じ文化圏とみるべき
Q 日本と朝鮮と分けて考えるべきではない。日本人とか弥生人とは根拠が不明
動画と資料
➤ 動画 YouTube 動画リンク
  • 「西遼河起源説とその撤回要請及び朝鮮半島と日本に関する2冊の書籍:論評」 丸地三郎 133 分
    https://youtu.be/Qa2ds9LNbYc
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