最終更新日:2022/03/28
季刊「古代史ネット」第6号(2022年3月)
季刊『古代史ネット』編纂委員会編
発行 日本古代史ネットワーク
発行受託 ふくおかアジア文化塾
巻頭言~古代からのメッセージ
河村哲夫
北部九州における神功皇后伝承
ずいぶん前のことであるが、九州における神功皇后の伝承地を一生懸命追いかけていたことがある。
神功皇后は空想上の存在として、戦後、歴史の世界から追放された人物である。戦後教育を受けた私自身、神功皇后の実在をまったく信じていなかった。
しかしながら、私の生まれた育った地域に神功皇后を祭る大きな神社があり、年一回大きなお祭りが開催されていた。
幼いころから父母に連れられ、家族総出でそのお祭りに出向き、人込みでにぎあう参道を歩き、露天で買い食いした記憶が鮮明に残っている。
幼いときの記憶はたったそれだけのことであったが、長じて仕事などで県内各地を尋ねるうち、あちこちに神功皇后を祭る神社が 存在している ことに気づいた。
週休二日制も施行され、家でごろごろするだけでは能がない。
本格的に神功皇后伝承地の調査を行うこととした。
市町村史の神功皇后伝承や貝原益軒の『筑前国続風土記』などの諸文献を漁り、それを地図に落とし、土日などに体力づくりをかねて伝承地を歩き回った。
現地に出向くと、文献にはなかった神社や伝承地が数多く見つかった。それらもまた地図に落としていった。
最初のころはパラパラの点であったが、そのうちに点と点が線としてつながるようになった。そして、不思議なことに気づいた。
神功皇后の伝承地に沿って歩いていくと、下流の広い川を渡ることを避けるように、川に沿って上流にまで上って、山沿いの道をたどって峠を越え、そして、次の川伝いに川下に下りていくのである。そのようなコースに伝承が点々と残されている。
――なんで歩きやすい平地をまっすぐ歩かないのだろうか。
現代人の常識では考えられないコースで、地図を見ながら何度も首をひねったものである。
ところが、何度かそのコースを歩くと、その理由がわかった。
川に沿って歩くと、意外と勾配がなだらかで、上りも下りも楽々と心地よいのである。
峠にたどり着くと、風景を一望することができる。
地図もナビゲーションもない時代には、高い場所からの眺望が地図の役割を果していたことが実感できた。
車を運転し、電車やバスに乗って、大きな河川に架けられた橋を楽々と進む現代人には見えない世界である。
古代においては、平野部には堤防のない大きな河川が流れ、あちこちに沼や湿地が広がり、草木が生い茂り、獣や害虫も多かったであろう。
雨季にはしばしば洪水にも襲われ、古代人にとって、平地はまさに危険地帯であった。
古代人は、安全な丘陵地や微高地を選んで居住し、時間をかけて、用心深く、少しずつ低地の開墾を進めていったにちがいない。
そういった古代のイメージを感じられるようになった。
日本人の伝承力
数年がかりで、福岡県のみならず、佐賀県、長崎県、壱岐、対馬など北部九州の 3,000 以上にのぼる伝承地を地図に落とし終えた段階で、戦後の我々は間違った古代史を教え込まれたのではないかという疑念が沸々と湧き上がってきた。
『日本書紀』、『古事記』、地域伝承、社伝などが、歴史の世界から追放され、ごみ箱に捨て去られている。
津田左右吉流の、記紀の編者を愚弄し、記紀の記事をもてあそび、ひねりまわして解釈する風潮が主流となり、複雑でゆがんだ観念論が横行している。
これでは、歴史の真相は見えてこないのではないか。
一方で、地図に落としたおびただしい神功皇后の伝承地を眺めていると、社伝や伝承、地名などという残された何世代にもわたる多くの人々の痕跡――メッセージが飛び込んでくる。
この地図を作成する過程で、大和朝廷に押しつけられた虚構の話を地元の伝承として残した、というような伝承は一件も見つけることはできなかった。
もちろん私が調査した神功皇后の伝承は、全体からみればまだ一部に過ぎないであろう。なかには伝承の精度という点で怪しげなものもまじっている。
しかしながら、全体としては『日本書紀』『古事記』などと見事な整合性を保っている。
地域の人々が『日本書紀』『古事記』を読んで、それに合致するような伝承を捏造したというような説は成り立たつはずもない。
『日本書紀』『古事記』が一般民衆のレベルまで流布したとはおもえないからである。
広域的な通信手段を持たない古代人が、壱岐・対馬を含む北部九州の広い範囲で相互に連絡を取り合って神功皇后伝承を創作することも不可能である。
古代からのメッセージ
歴史というものは、神話や伝承のなかにも隠されている。
古い地名もまた、伝承や歴史のいわば結晶であり、ある意味では考古学的な遺物である。
『日本書紀』や『古事記』については、もちろん第一級の古代文献である。
これらのものに対して、真正面から向き合い、その語るところのメッセージ に真撃に耳を傾けなければならないのではないか。
戦後の我々はそのことをおろそかにしていたのではないのか。
以上、地味でマニアチックな作業を試みた馬鹿な男の感想とお許しいただきたい。
ちなみに、拙著の『神功皇后の謎を解く~伝承地探訪録~』 原書房 2013 に掲載したいくつかの神功皇后経路図を紹介しながら 、今回は失礼させていただきたい。