最終更新日:
2023/04/19

なぜ、年輪年代法基礎データの公開を求めるのか
――年輪年代法における当面の諸課題――

日本古代史ネットワーク

日本古代史ネットワークは、昨年7月以来、独立行政法人 国立文化財機構 奈良文化財研究所(「奈文研」)に対して、年輪年代法基礎データの公開を請求しています。

この問題の背景にある年輪年代法の課題等について、改めて説明します。

1.年輪年代法とは

年輪年代法は、年輪の幅が生育環境に応答することを利用し、その変動パターンを比較することで年代を決定する方法です。この方法により、木造文化財等に使われた木に刻まれる年輪が何年に形成されたものなのか、1年の精度で誤差なく明らかにすることができるとされています。

古代史研究では、年代を特定することは、極めて困難です。文献や金石文等の記録が不十分である場合、考古学的な遺物からその年代を測定することになります。日本の古代史研究では、従来、主として、発掘された土器の形状や文様あるいは整形技法等の変化を追うことで、年代を決定してきました。この方法は、各々の土器の前後関係を判断し、これを積み上げるものですが、地域差等もあり、絶対的な年代の特定は極めて困難です。

近年、絶対年代を特定する科学的方法の切り札として登場したのが、この年輪年代法等です。日本では奈文研が研究を進め、1985年(昭和60年)から実用段階に入りました。現在、考古学、古建築などの年代測定に活用され、考古学・古代史研究の年代推計に大きな影響を与えてきています。

しかしながら、年輪年代法には、現時点でも、以下に説明するような、早急に解決すべき基本的な課題が残されています。

2.法隆寺と正倉院の年代が、「日本書紀」等の記録と100年も違っている。

日本史上極めて重要であり、世界遺産でもある貴重な建造物の年代に、日本書紀などの文献とは、100年程の隔たりが存在しています。

(1)法隆寺五重塔心柱

世界遺産である法隆寺は日本史上極めて重要であることは言うまでもありません。ところが、この法隆寺の五重塔の年代が、年輪年代法の測定値と「日本書紀」の記録とで、100年も違っているのです。

法隆寺五重塔心柱の伐採年は、年輪年代法によれば、西暦594年と測定されています。他方、「日本書紀」には、法隆寺は607年(推古天皇15年)に創建され、670年(天智天皇9年)に全焼したと記録されています。その後、再建が進められ、711年(和銅4年)に五重塔初層安置の塑像群等が完成し、この頃までには五重塔が完成していたとみられています。五重塔の心柱は、免震構造上、最も重要な部分です。年輪年代法による年代推計が正しいことを前提とすれば、100年近く前の古材・廃材を心柱に転用したということになります。

法隆寺が再建された時期は、「日本書紀」編纂の最終段階でしたが、聖徳太子は象徴的存在であったことは周知の事実です。「日本書紀」の記録を正しいとすれば、当時の指導者達が、100年近く前の古材・廃材を転用するようなことを敢えて命じたか、容認した、あるいは、全く関知していなかったということになります。そうでなければ、「日本書紀」に虚偽を記録させたという前提に立つことになります。

いずれにせよ、合理的かつ明確な説明、科学的根拠が絶対不可欠です。

(2)その他の歴史的建築物

東大寺正倉院、元興寺禅室(奈良県奈良市)、紫香楽宮(滋賀県甲賀市)、法起寺三重塔(奈良県斑鳩町)の建材も、年輪年代法の測定値と文献の記録との齟齬が見られます。

例えば、正倉院は、東大寺の記録では、760年に建築されたと記録されています。正倉院は、奈良の大仏を建立した聖武天皇の御物を収めるために建てられ、その多くは、世界史上も極めて貴重です。ところが、年輪年代法で測定した建材の半分は新品、半分は100前の古材という結果が出ています。

(3)当面の課題

この日本書紀等の記録との関係が、年輪年代法について検討する場合の、最大の課題であり、いわば、出発点とも言えます。下の表は、両者の関係を簡単に表したものです。

日本書紀等 年輪年代法
ケース1 100年前の古材・廃材を転用
ケース2 × 要再検討
ケース3 × 誤記・創造
ケース4 × ×

年輪年代法の測定値を前提にすれば、文献資料の記録が史実に合致する場合には、法隆寺五重塔の心柱や東大寺正倉院の建材は、100年も前の古材・廃材を転用したということになります(ケース1)。他方、これが余りに非現実的・不合理であるとすれば、年輪年代法の測定値の妥当性が問題となります(ケース2)。

勿論、日本書紀や上記の文献の記録が、誤記あるいは創造の産物である場合もあり得ます(ケース3)。これらの記録と年輪年代法の双方に問題があるという可能性も考えられます(ケース4)。

いずれにせよ、この問題は、年輪年代法そのものの信頼性に直結するものであり、日本古代史の研究にとって、絶対に看過できるものではありません。同時に、こうした問題を放置しておくことは日本の考古学・古代史界の信用と権威も大きく損なわれます。このような、基本的な問題を放擲、等閑視することは、一般社会では絶対にありえません。

この問題について、合理的かつ明確に説明することは、喫緊の課題です。

3.我が国の年輪年代学は学問のありかたとして問題

我が国における年輪年代学は、「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」に反し、そもそも、学問のあり方として根本的な問題があります。

(1)我が国の年輪年代学の事情

我が国では、奈文研の研究員であった光谷拓実氏や同氏の研究を引き継ぐ奈文研だけが、紀元前から現代までの暦年標準パターンの作成に成功したと主張し、様々な神社仏閣の建築材や遺跡から出土した木片などについて、断定的に年輪年代の測定結果を公表しています。

しかし、光谷氏や奈文研は、暦年標準パターンそれ自体はもちろんのこと、暦年標準パターン作成のための基礎データ・基礎資料を公開しておらず、且つ、関連する学会に公表をしていません。そのため、光谷氏や奈文研が断定的に公表した年輪年代の測定結果の検証をすることができない状況になっています。

「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン(平成26年8月26日文部科学大臣決定)」には、次のように規定されています。

2 研究成果の発表

研究成果の発表とは、研究活動によって得られた成果を、客観的で検証可能なデータ・資料を提示しつつ、科学コミュニティに向かって公開し、その内容について吟味・批判を受けることである。科学研究による人類共通の知的資産の構築が健全に行われるには、研究活動に対する研究者の誠実さを前提とした、研究者間相互の吟味・批判によって成り立つチェックシステムが不可欠である。

光谷氏や奈文研は、このガイドラインにも反する運用です。

そして、奈文研以外に、紀元前から現代までの暦年標準パターンの作成に成功をした研究グループはなく、奈文研の測定した年輪年代が、検証のないまま、真実として一人歩きしています。

(2)当面の課題

これらの問題点を解決する方策として、暦年標準パターンを作成するにあたって用いられた基礎データ・基礎資料の公開を求めると共に、いくつかの木材について年輪年代を測定した際のデータ・試料の開示を求めています。

開示がなされた場合には、光谷拓実氏や同氏の研究を引き継ぐ奈良文化財研究所が作成に成功したとする暦年標準パターンを検証をするとともに、光谷拓実氏や奈良文化財研究所が断定した木材の年輪年代を検証することにより、年輪年代学の発展に寄与することになります。

4.解析方法論として、数理専門的見地からの精査が必要

このような事情から、日本書紀等の文献の記録が史実でないという可能性を検討するとともに、年輪年代法そのものの妥当性についての再検討する必要があります。科学的解析方法として、再精査することが必要となります。

(1)年輪年代法の精査

年輪年代法は、出土した木材の年輪を測定し、数的処理をすることになります。そこで、数的処理上での基本的な事項を再確認する必要があります。

数的処理にあたっては、年輪の測定値を標準化し、データを統合させる必要があります。年輪は樹木の成長過程を反映しますが、樹木の生長の状況は、畿内・東北地方等あるいは平野、盆地、集落等の地域性、あるいは、樹木(木材)の種類により大きく相違します。標準化においては、材木の特性や個体差との関係をどのように数的に処理するのかということが課題です。

また、年輪を標準化したデータと、実際に年輪を測定して求めた数値が100%一致するということはあり得ません。その場合、一致しているとことを、どのような方法で判定するのかという課題もあります。

(2) 放射性炭素年代測定法との関係

放射性炭素年代測定法は、経年による放射性炭素量の減少を測定し、年代を割り出す科学的な手法です。年輪年代法で年代を測定するには、木材として、100年程の年輪が計測可能であることが前提となりますが、この方法では、その必要はなくなります。

他方、大気中に自然に存在する放射性炭素の発生量は、時代ごとの宇宙線の強弱で変動します。このため、年代測定の基礎データは、木材の年輪パターン等に基づき較正することが必要となります。

放射性炭素年代測定法による年代の測定値は、年輪年代法の測定結果が前提となっており、両者は連動することになります。従って、年輪年代法の影響は、日本の考古学・古代史に広く及んでおり、この意味からも、年輪年代法の再精査は欠かせません。

(3)当面の課題

年輪年代法が科学的解析方法である以上、その核心は使用データとその数理処理の問題です。年輪年代法の信頼性を確固としたものにするには、何よりも、科学的解析方法として適正であるのかということを精査することが喫緊の課題です。

5.科学研究の最低限の要件である「透明性と再現性」が担保されていない

年輪年代法を科学的解析方法として精査するには、使用データとその数理処理について、部外の第三者である複数の数理専門家に開示することが必要です。それ故、情報公開は絶対不可欠となります。

(1)科学的方法としての要件

新しい科学的な手法が導入されるに当たっては、その客観性と合理性、妥当性などについて、「第三者による客観的で厳密な検証」が必要不可欠です。特に、現代科学の急速な進展に伴い、科学の分野では、研究の透明性と再現性が要件となります。

年輪年代法の場合、基礎的データがまったく公開されていないことから、透明性が全く欠如しています。このため、第三者による客観的な検証を受けていないことから、再現性も全く欠如しています。要するに、現代科学の鉄則である研究の透明性と再現性が全く守られていません。

ところが、年輪年代法をめぐっては、以下のような見解も存在します。

  • 「日本の年輪年代法の信頼性を疑う主張について検討する。一つは考古学におけるこれまでの年代観との齟齬から生じた年輪年代法への疑念、もうひとつは標準年輪曲線の作成データ公開に関する誤解である。」
  • 「日本の標準年輪曲線を間違いとする論者は、「奈良文化財研究所が年輪年代法の基礎データを公開し、第三者研究機関がその検証を実施せよ」と主張するのであるが、この主張は標準年輪曲線作成の先駆性と困難さを理解していない。1985 年に光谷博士が標準年輪曲線を作成して暫くは、標準年輪曲線を検証することは誰にも不可能だった。光谷博士が採取した年輪データは、日本中の営林署や発掘現場や古建築修理現場に協力を仰いで収集した木材サンプルによるものである。この木材サンプルとは異なるサンプルを用いたもうひとつの標準年輪曲線を作成してはじめて、光谷博士の標準年輪曲線との比較が可能になるのであり、それ以外に検証の方法は無かったのである。そしてそれを誰もしなかったから、検証は不可能であり、データ公開は無意味であった。」(「「古建築部材を対象にした 自然科学的年代調査法の信頼性と有効性 中尾七重」武蔵大学研究紀要23号」)

(2)当面の課題

年輪年代法の実態は、明らかに、現代科学の鉄則である研究の透明性と再現性が全く守られていません。しかも、現状では、年輪年代法で年代測定を行っているのは、奈良文化財研究所だけということになります。

それにもかかわらず、この状況が約40年も放置され、半ば公認された状態です。年輪年代法が、科学的手法であるのならば、透明性と再現性のため、使用データとその数理処理を開示することが必要です。堂々と科学の王道を進むべきです。

6.情報公開制度の意義に対する初歩的な理解は?

民主主義の骨幹に直結する「情報公開法」に反し、「科学者の行動規範」にも悖ります。

(1)情報公開制度の意義

当会は、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律(情報公開法)」に基づき、独立行政法人国立文化財機構(奈良文化財研究所は、その一部門)に情報公開を請求しています。この情報公開は、科学的方法論としての常道であるとともに、現代民主主義の根幹に直結するものです。

情報公開法は、次のように規定しています。

「第一条 この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。」

(2)当面の課題

情報公開は、現代民主主義の根幹であるとともに、「科学者の行動規範-改訂版-平成25年(2013年)1月25日 日本学術会議」にも直結します。

この行動規範には、例えば、科学者の姿勢として、次のように明記されています。

「科学者は、(略)科学研究によって生み出される知の正確さや正当性を科学的に示す最善の努力を払う」と明記されています。また、説明と公開として、「科学者は、自らが携わる研究の意義と役割を公開して積極的に説明し、その研究が人間、社会、環境に及ぼし得る影響や起こし得る変化を評価し、その結果を中立性・客観性をもって公表すると共に、社会との建設的な対話を築くように努める。

先に引用した「データ公開は無意味であった」とする見解などは、この行動規範に悖る、「民可使由之 不可使知之」の典型と言えます。情報公開制度の意義を再確認することが期待されます。

7.邪馬台国大和説にも波及する

年輪年代法の測定値は、考古学・古代史の研究に広く波及します。考古学・古代史の専門家が積み重ねた研究結果との齟齬が頻発しています。巷間、邪馬台国の所在をめぐり激論が続いていますが、邪馬台国大和説にも関係しています。

(1)古墳時代の開始年代と邪馬台国大和説の根拠

大和朝廷(王権)の成立を象徴するものが、古墳築造の開始であるとされています。それ故、古墳時代が開始された年代は、考古学・古代史研究において、解明すべき長年の課題の 1つとされてきました。

古墳時代の開始年代は、従来、4世紀とする説が主流でしたが、現在は、年輪年代法により、3世紀とする説が有力とされています。

例えば、箸墓古墳(奈良県桜井市)は、古墳時代の本格的な始まりを示すとされていますが、その周辺地域には、古墳出現期(古墳時代前期前半)に築造されたものとして、纏向石塚古墳、勝山古墳、矢塚古墳、東田大塚古墳の4基が存在します。このうち、纏向石塚古墳と勝山古墳出土の周辺から出土した木材の伐採年代は、年輪年代法により西暦200年を下ることはないとされています。

つまり、箸墓古墳等の築造により、本格的な古墳時代が開始されますが、その直前の古墳出現期(古墳時代前期前半)が2世紀ということになります。そして、本格的な古墳時代の始まりを示す箸墓古墳はその直後、即ち、3世紀の遅くとも中頃に造成されたということになるわけです。

他方、魏志倭人伝によれば、卑弥呼が死去した年代は248年頃とされています。したがって、箸墓古墳の築造と卑弥呼の死去との年代が同時期となり、卑弥呼の墓であることが確実ということになります。つまり、邪馬台国大和説論者の最大の論拠となっています。

さらに、この説は、大和朝廷(王権)の成立にも直結します。大和朝廷(王権)は、「倭国乱」の後、箸墓古墳が所在する邪馬台国を中心に、畿内勢力を統合し、成立したことになり、北九州、出雲等は辺境で無縁ということになります。

邪馬台国の所在地、大和朝廷(王権)成立の通説にも、年輪年代法は決定的な役割を果たしているということです。

(2)当面の課題

先に述べたように、年輪年代法による測定値と日本書紀等の記録とは、100年近い齟齬があります。「日本書紀」の記録を基準にした場合、古墳時代の開始を示す箸墓古墳の造成年代は4世紀となり、従来の考古学の成果が確認されることになります。年輪年代法の測定が正しいのか、誤りなのかは、大きな鍵をにぎります。基本データを公開/「公け」にして、データを以って解決することが急務と考えます。

8.まとめ

年輪年代法の測定した年代が世の中に広まっていますが、歴史の基幹となっている日本書紀などの文献とは、100年程の隔たりが存在し、論議を呼んでいます。さらに、歴史に関心のある人々が注目している邪馬台国も、この100年程の隔たりによって、大和説有利の状況が作りだされています。そこで、論議に熱が入ってくるが、実は、答えが出ません。年代測定の基本データが公開されていないことが原因です。年輪年代測定は、科学と云いながら最低限の要件である透明性と再現性が担保されていません。

私達は、この基本データの公開を求め、提訴しており、勝訴して、基本データを入手したいと考えています。入手したデータは、歴史や年輪年代に関心のある全ての方々に公開して、調べていただき、100年程の隔たりを含めて、年輪年代法の問題・疑念を解決したいと考えています。

加えて、年輪年代法のデータが基本データとなっている放射性炭素年代測定の信頼性の問題も解消できればと願っており、科学を活用して日本の歴史を解明するための礎を作りたいと考えています。