最終更新日:
2024/08/30

特別保存論文

緊急レポート!! 炭素14年代:国際較正曲線INTCAL20と
日本産樹木較正曲線JCAL

著者:鷲﨑 弘朋
初出:2020.10.04(更新 2020.10.21)

さて、最新の北半球の炭素14年代・較正曲線INTCAL20は、紀元前後~AD450年頃は日本産樹木較正曲線JCALが基準となり、JCAL=INTCAL20としてほぼ統一された(2020年8月、歴博発表)。これにより、弥生古墳時代の年代観に大きな影響が及ぶ。

  1. 大阪府池上曽根遺跡ヒノキ柱根N0.12の最外年輪:炭素年代は2020BP

    2020BPの実年代(較正年代=暦年代はBC50~AD100年、中心はAD1世紀前半頃で従来考古学通説と一致 (図3。大阪湾岸の海洋リザーバー効果も配慮すべき(遺跡は海岸から2km)。年輪年代測定値はBC52年 伐採だが、従来考古学通説と100年乖離し、従来通説(AD1世紀中頃)が正しい可能性が強い 。

  2. 纏向遺跡大型建物跡の土坑出土の纏向桃核(名古屋大測定12個、山形大測定2個、合計14個の加重平均):炭素年代は1823BP

    1823BPの実年代は、AD220~AD260年あるいはAD290~AD340年(図3)。

  3. 箸墓周辺出土の布留0土器: 炭素14年代は1800BP

    1800BPの実年代は、AD240~AD260年あるいはAD290~AD340年(図3)。
    箸墓築造年代の従来通説はAD300年頃~4世紀前半で、1800BPはこの通説と一致する。

図3
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IntCal20較正曲線に、日本産樹木年輪のデータが採用されました

国立歴史民俗博物館 2020年8月25日発表

炭素14年代法に欠かせない較正曲線の最新版「IntCal20」に,国立歴史民俗博物館が中心となって測定を進めてきた日本産樹木年輪のデータが採用されました。較正曲線の形状が従来のものから変更され,なかでも弥生から古墳にかかる時期が大きく見直されました。

【 新しい較正曲線】

炭素14年代法では,較正曲線を用いて炭素14年代を暦年代に修正します。較正曲線は年輪年代法などで年代の判明した資料の炭素14年代に基づいて整備され,IntCalは日本を含む北半球の陸上資料に適用される汎用的な較正曲線です。

較正曲線は数年ごとに改訂され,2020年8月には多くの新データを反映した較正曲線「IntCal20」が公開されました(Reimer et al., 2020, DOI: 10.1017/RDC.2020.41)。前版のIntCal13較正曲線では福井県水月湖の過去1〜5万年前の堆積物データが採用され,大きな話題となりましたが,それに加え,IntCal20には初めて日本産樹木年輪のデータが採用されました(図1)


図1
図1:炭素14年代/暦年代
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日本産樹木年輪測定の取り組み(歴博発表)

国立歴史民俗博物館は,奈良文化財研究所,総合地球環境学研究所,東京大学,名古屋大学,山形大学,日本原子力研究開発機構などとの共同研究,ならびに科学研究費補助金による研究を通じ,20年以上にわたって日本産樹木年輪の炭素14年代測定を継続してきました。その過程で,西暦1〜3世紀の挙動が従来のIntCal較正曲線と合致しないことを明らかにしました。今回のIntCal較正曲線の改訂は,日本産樹木年輪の挙動に合わせた形になりました(図2)


図2
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図4(図2bの拡大)
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【箸墓古墳の築造年代】INTCAL20によって、弥生・古墳時代の年代観が大きく変わった。

箸墓周辺の布留0土器の炭素14年代は1800BPである(上図 。この1800BPをINTCAL20較正曲線で実年代(暦年代)に補正(変換)すると、AD250年頃と 4世紀前半(AD300~AD350年の二つ候補があるが、上図4で分かるように4世紀前半の可能性がより高い。

2011年3月、『国立歴史民俗博物館研究報告』第163集が発刊された。この中に、「古墳出現期の炭素14年代測定」があり、箸墓古墳の築造を240~260年と断定し、土器編年等からの従来通説「箸墓築造はAD300年前後~4世紀前半」を否定した。

この報告では、較正曲線INTCAL09とJCALを併記するが、結論「箸墓築造は240~260年」は誤りで、多くの批判・反論を受けている。鷲﨑も以下論文で批判した。

  • 鷲﨑論文『歴博「古墳出現期の炭素 14 年代測定」は誤り』(季刊『邪馬台国』111 号、2011 年 梓書院)

なお、纏向桃核の炭素14年代について、名古屋大学と山形大学はINTCAL13較正曲線で実年代へ換算(較正)した(下の図。それによると、2018年当時のINTCAL13では、この桃核の実年代はAD135~AD230年と判定された(2018年5月、纏向学研究センター紀要)。

しかし今回INTCAL20を使用すると、下図5のように実年代が大きく変化し、100年新しくなる 。すなわち AD220~AD260年あるいはAD290~AD340年の二か所が候補となるが、図5から判断するとAD300年頃~4世紀前半が有力となる。同様に、箸墓周辺布留0式土器の年代もAD290~AD340年が有力となる。

このように、今回INTCAL20への移行によって、弥生末~古墳発生期の年代の大幅見直しが必至の情勢となった。

図5
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【INTCAL20、JCAL、INTCAL13及び年輪年代法】

歴博の坂本稔教授等は、日本産樹木「箱根町埋没スギ」「飯田市遠山川埋没ヒノキ」「宮田村埋没ヒノキ」等の炭素14年代を測定し、JCAL作成用データとした(図1参照)。最新の国際較正曲線INTCAL20では、紀元前後~AD450年はJCALを全面的に取り入れ、ほぼJCAL=INTCALと設定した。

図4のINTCAL作成デ-タを見ると「Seatle treerings」・・・「Sakamoto treerings」の5種類があるが、日本産樹木「Sakamoto treerings」の測定数が圧倒的に多く、加重平均すれば、ほぼJCALと同じになるからであろう。

従って、紀元前後~AD450年頃はINTCAL20を日本で適用するのは適切だが、北米やヨーロッパで北半球の標準として使用するのは、炭素14濃度の地域差の観点からして、やや問題があるかもしれない。また、日本は海に囲まれた海洋国で、海洋リザーバー効果の影響を大きく受け炭素14年代がやや古めに出ている可能性が強く(特に海岸から10km以内)、北米内陸やヨーロッパ内陸では、様相が少し異なる可能性がある。

以上の鷲﨑小論は、INTCAL較正曲線が8月に改定されたばかりでの、個人的見解も含む <速報コメント> であります。

INTCAL20は、日本古代史の弥生古墳時代の年代論に、今後大きな影響を与えるため、もう一つの科学的年代測定法である年輪年代法を含めてさらに検証したい。


以下に、毎日新聞2020年9月23日夕刊の国立歴史民俗博物館・坂本稔教授のインタビュー記事を掲載します――――毎日新聞記者・伊藤和史氏によるインタビュー。記事タイトルとして、

  • TOPICS 歴史研究に多大な影響
  • C14年代測定新段階に
  • 日本産樹木データを初めて採用

記事タイトルのように、今年8月に発表された国際較正曲線の最新改定版・INTCAL20が、今後の【歴史研究に多大な影響】を与えることは確実です。

INTCALとJCALは、従来は特に1~3世紀頃でズレが大きい。弥生から古墳時代への移行期で、日本史上の極めて重要な時期だ。

坂本教授談『研究の目標として、日本版の較正曲線(JCAL=ジェイカル)を作ろうとやってはきたが、図らずも今回、もうイントカルがそのままジェイカルなんですよね』。また、現在、最新版による過去の測定値の見直し作業が急速に進んでおり、弥生~古墳時代の年代観をはじめ、新しい議論の始まりが期待される。

同じく坂本教授談『改定を受け、検証を目的とした測定が世界中で進められます・・・その結果、較正曲線の形が元に戻されることもあり得る』。

以上のように、問題の1~3世紀が今後全面的に見直されることになり、邪馬台国論争や箸墓古墳等の築造時期の判断に大きく影響するであろう。結果として、古墳時代の始まり等が、元の従来通説に戻ることも十分にあり得る。それは、弥生古墳時代の100年遡上をもたらした「ブラックボックスの年輪年代法」の検証に繋がることも意味する。今後の進展が楽しみです。

【注】毎日新聞記事の後に、論文「年輪年代法の弥生古墳時代100年遡上論は誤り」2020.11.01 及び、論文「歴博『古墳出現期の炭素14年代測定』は誤り」2011年

以下は、2020年9月23日 毎日新聞記事

『C14年代測定新段階に』日本産樹木データを初めて採用
毎日新聞 2020 年 9 月 23 日 夕刊より
毎日新聞記事
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<参考資料>
歴博「古墳出現期の炭素14年代測定」は誤り

季刊『邪馬台国』111 号、2011 年 梓書院
鷲﨑弘朋

(注)以下の鷲﨑論考は、9年前の2011年発表なので、国際較正曲線は INTCAL09 を使用している(現在2020年時点では INTCAL20改訂 )。

2011年3月、『国立歴史民俗博物館研究報告』第163集が発刊された。この中に、「古墳出現期の炭素14年代測定」の報告があり(以下、「今回報告」と略す)、箸墓古墳の築造を240~260年と断定した。これは、2009年5月の第75回日本考古学協会総会での発表と同じである。今回報告は、①日本産樹木の炭素14年代(較正曲線)を使用していること、②土器付着炭化物だけでなく木材・種実も対象としており、分析手法としては前進した。しかし、結論は同様に間違っている。

1 今回報告の結論

今回報告の結論は図1となる。これによれば、古墳出現期の石塚古墳はAD200年頃、勝山古墳も同じくAD200年頃、 箸墓古墳はAD240~260年の築造 になると言う。

図1
日本産樹木年輪の示す炭素14年代と測定資料との関係
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従来、古墳出現期は石塚古墳・矢塚古墳・東田大塚古墳・勝山古墳・箸墓古墳・ホケノ山古墳が議論の主な対象で、本稿でもこれらを中心に取り上げる。なお、以下の表1~表7で「今回報告」データを整理した。

2 石塚古墳-年代論の定点A
表1 石塚古墳:第4次および第8次調査試料の測定
試料出土区時代炭素14年代
①木材第3トレンチ周濠植物層下層弥生後~古墳前6310±40 BP
②木材 小枝第3トレンチ周濠暗青灰色
シルト層
弥生後~古墳前
庄内3
1830±30
③種実 果皮第3トレンチ周濠34層
暗青灰色シルト層
弥生後~古墳前6440±40
④種実 種子(③④は同じヒョウタン?の
果皮と種子)
弥生後~古墳前6470±40
⑤種実第3トレンチ周濠中央植物層弥生後~古墳前
庄内3
1910±30
⑥木材第3トレンチ植物層弥生後~古墳前
庄内3
1890±30
⑦木材 不明環孔材墳丘下湿地層暗灰色粘土層
1トレ7-9杭間
弥生後~古墳前
庄内3
1880±30
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図2
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【表1の考察】:①③④は6000台BPを示し、周濠より下の地層(縄文時代)との撹乱による混入と考えられ、除外すべきである。木材3点のうち⑥⑦は炭素14年代を測定した年輪の部位が不明のため古木効果を想定する必要があり、②小枝1830BPが試料として最も適切である(補注1:古木効果)。そうすると、⑤種実1910BPと②小枝1830BPが比較対象となる。これを図2に示す。なお、小枝は最低12年輪程度が有ると思われるので古木効果を6年(0~12年輪の平均)とし、1830BPから6BPを引いた1824BPで表示する。遺跡から古い時代と新しい時代の遺物が同時に出土した場合、新しいものを優先するのが考古学の原則である。また⑤は何の種実か判然としない。今回報告では種実の試料が11点あるが、他はヒョウタン、ウリ、モモ、ヘチマとほぼ特定されている。その意味では、⑤は本当に種実かどうか不明確で試料としてやや不安がある。

1824BPは図2では太線で示すが、実際には±30BP(1σ)また±60BP(2σ)の幅を持ち、3世紀末~4世紀前半の山(日本産樹木の炭素14年代)と大きくかぶさる。図2から1824BPは3世紀前半と3世紀末~4世紀前半の二つが築造時期の候補となる。ただ、年輪年代法の古代すなわちAD640年以前の測定値は、全て100年古く狂っていることを拙論で指摘済みである(補注2:年輪年代法)。従って、年輪年代の100年修正(周濠出土ヒノキ板AD177+αすなわち195年頃伐採⇒295年)、および1994年に周濠出土木材の炭素14年を測定したAD320年(古城泰氏)も考慮すると、石塚古墳の築造はAD300年頃と見るのが妥当である。

一方、歴博は「今回報告」で②⑤⑥⑦を平均した1880BPを基準とする。しかし、⑥⑦は古木効果が想定され、試料として不適切である。平均1880BPは⑦木材不明環孔材1880BPと全く同じで、結果として最も重要な②木材小枝1830BPが消去されたことになる(見事に消した?)。つまり、歴博は古木効果が想定される⑦木材不明環孔材の1880BPを基準とするが、これには従い難い。しかも、図2のように1880BPは2世紀全般~3世紀初頭の広範囲に該当する。歴博は、これを3世紀初頭に限定し石塚古墳をAD200年頃築造とし、共伴する庄内3期土器をこの時期に設定しているが、全く根拠がない。このように、石塚古墳築造と庄内3期をAD200年頃として定点に設定するのは全く成立しない。仮に、庄内3期を2世紀中頃~3世紀初頭とすると、その前の庄内0~2は1世紀に突入し、弥生後期(始まりはAD50頃から・・・貨泉問題からはこれ以上は遡れない)が消滅してしまう!(補注3:近畿地方土器年代比較表)。

3 東田大塚古墳-年代論の定点B
表2 東田大塚古墳:第1、2、4次
(纏向106、113、147次)調査試料の測定
試料出土区時代炭素14年代
①土器付着物周濠下層No.64古墳前期 布留1古1710±30BP
②土器付着物SE2001下層古墳前期 布留0古1860±30
③土器付着物-a 胴内面SD2001下層古墳前期 布留0古1820±30
④土器付着物-b 胴外面古墳前期 布留0古1780±30
⑤土器付着物-a 胴内面1トレンチ周濠下層
上部
古墳前期 布留0新1840±30
⑥土器付着物-b 胴外面古墳前期 布留0新1750±30
⑦種実 ウリ種子SX1101上層下部
(15層)
古墳前期 布留0古1850±30
⑧種実 モモ核SX1101上層下部
(15層)
古墳前期 布留0古1730±30
⑨木材 小枝SX1101上層下部
(15層)
古墳前期 布留620±30
⑩木材 加工木 樹皮直下周濠下層木No.10古墳前期 布留1古1650±30
⑪木材 自然木 最外縁周濠下層木No.4古墳前期 布留1古1670±30
⑫木材 自然木 枝最外縁周濠下層木No.11古墳前期 布留1古1760±30
⑬タケ亜科 カゴ材第1トレンチカゴ1古墳前期 布留0古1760±30
⑭タケ亜科 カゴ材第4トレンチカゴ2古墳前期 布留0古1730±30
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【表2の考察】:⑨620BPは極端に若い年代を示し上部からの混入と考えられるので除外する。さて、土器付着物は他素材より古い測定値が出る事は多くの識者が指摘し、試料として適切でない(補注4:土器付着炭化物)。②③④⑤⑥の布留0土器付着物の平均は1810BP、一方同じ布留0期でも他素材⑦⑧⑬⑭の平均は1768BPで42年の差があり、これを図3に表示する。また、布留1期は土器付着物①が1710BPに対し、他素材⑩⑪⑫は1693BPで17年差があるが大差ないので、平均の1698BPを図3に表示する。この図3によれば、布留0土器の年代は3世紀中頃と3世紀末~4世紀前半が候補となるが、「3世紀末~4世紀前半」がより有力である。布留1土器は、3世紀後半に少しの可能性があるが、大半は4世紀後半である。そうすると、布留0「3世紀末~4世紀前半」 ⇒ 布留1「4世紀中頃~後半」との流れになる。

一方、歴博は「今回報告」で東田大塚古墳を布留0から1式への移行期の古墳とする。そして、表2の布留1式の①土器付着物1710BPおよび⑩⑪⑫他素材1693BPを基準とする。そして、この布留1を較正曲線が大きく落ち込むAD270年頃にあて、これを定点とした。しかし、さきほど述べたように図3によれば、布留1は較正曲線との比較では3世紀後半に少しの可能性はあるが、大半は4世紀後半に該当する。このように、布留1は4世紀中頃~後半が妥当 で、今回報告の「布留1=AD270年=定点」は全く根拠がない

以上、「石塚古墳=庄内3=AD200年=定点A」「布留1=AD270年=定点B」の二つを定点として土器型式を並べた冒頭の結論図1「日本産樹木年輪の示す炭素14年代と測定試料との関係」は、全く意味をなしていない。

図3
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4 矢塚古墳および勝山古墳

今回報告では、勝山古墳そのもののデータは無い。しかし 、勝山古墳周濠 から布留0式土器と共伴し約200点の木材が出土している。その中のヒノキ板が 年輪年代でAD199+α=AD200~210年伐採 と測定された(中間をとればAD205年伐採)。この年輪年代の妥当性を検証するためにも、200点の木材の炭素14年代を測定して欲しかった(ちなみに年輪年代が正しければ布留0式=205年となるが、それはあり得ない)。

図4で示すように、勝山古墳周濠(勝山池)のすぐ隣に矢塚古墳がある。この両古墳は最古式の前方後円墳として、ほぼ同時代(布留0)の築造とされる。今回報告は矢塚古墳周濠出土品の測定であるが、勝山古墳周辺遺跡としても見なせる。そこで、両古墳を一括して論じる。

表3 矢塚古墳:纏向(石野調査)および
纏向148次調査試料の測定
試料出土区時代炭素14年代
①土器付着物周濠下層一括弥生後期~古墳前期
布留0古
1820±30BP
②木材 木っ端周溝内黒褐色粘土古墳前期 布留0古1900±30
③木材 木っ端周溝内黒褐色粘土古墳前期 布留0古2100±30
④種実 モモ核周溝内黒褐色粘土古墳前期 布留0古1790±30
④種実 モモ核墳丘盛土内土手状砂層古墳前期 布留0古1800±30
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【表3の考察】:②③木材木っ端は、古木効果が想定されるので、試料として適切でない。④⑤種実モモ核の平均は1795BPである。①土器付着物は試料として適切でないが1820BPで、④⑤より25BP古い値を示す。④⑤モモ核の1795BPを図5から読み取ると、3世紀中頃と3世紀末~4世紀前半の二つが候補となるが、「3世紀末~4世紀前半」がより有力である。これと、年輪年代の100年修正(AD199+αすなわちAD205⇒AD305年)を合わせ考えると、 矢塚および勝山古墳の築造はAD300年頃と見るのが妥当 である。

図4
図5
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5 箸墓古墳
表4 箸墓古墳周辺:纏向109次調査試料の測定
試料出土区時代炭素14年代
①土器付着物SX1002拡張区植物層直下古墳前期 布留0新1790±30 BP
②木材SX2001地山整形掘込み古墳前期14010±60
③木材 小枝SX1002下層古墳前期 布留0新1820±30
④木材SX1001下層古墳前期12660±60
⑤木材SX1002腐食層古墳前期 布留11800±30
⑥木材 小枝SX1002腐食層古墳前期 布留11720±30
⑦木材 小枝1―トレ旧流路内粗砂層下
腐食層
古墳前期 布留11800±30
⑧木材 倒木周濠渡り堤の下、地山弥生後期~古墳前期 14040±60

【表4の考察】:②④⑧は極端に古い年代を示し、周濠下の地層との撹乱による混入と考えられ、除外すべきである。⑤木材は古材効果を想定すると試料としては不適切、また①土器付着物は比較的新しい年代を示すがやはり試料として不適切。結局、③⑥⑦木材小枝が最適で、この平均の1780BPを図6に示す。

表5 箸墓古墳周辺:7次(纏向81次)県調査試料の測定
試料出土区時代炭素14年代
①土器付着物SX01最下層41古墳前期 布留0古1840±30
②土器付着物SX01最下層34古墳前期 布留0古1780±30
③土器付着物SX01最下層40古墳前期 布留0古1820±30
④土器付着物SX01下層85古墳前期 布留0古1830±40
⑤土器付着物SX01最下層63古墳前期 布留0古1910±40
⑥土器付着物SX01最下層49古墳前期 布留0古1840±40
⑦土器付着物SX01上層109古墳前期 布留0古1740±40
⑧土器付着物SX01最下層56古墳前期 布留0古1870±40
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【表5の考察】:①~⑧の平均は1829BPである。全て土器付着物で試料として不適切だが、図6に示す。

参考 <表6 箸墓周辺遺跡の炭素14年代
――橿原考古学研究所2002年報告>
試料出土区炭素14年代
①木材 ヒノキSM-01最下層2080±60BP
②木材 ヒノキSX-01最下層2120±60
③種実 モモ核SX-01最下層1620±80
④種実 モモ核SM-01下層1720±70
⑤種実 モモ核SF-01A最下層1840±60
⑥種実 ドングリ纏向ハシリダ3E土坑1920±60
⑦土器付着物纏向石塚8次墳丘下湿地層2010±60
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【表6の考察】:①②は古木効果が想定され試料として不適切。⑦土器付着物は③④⑤モモ核と比較し明らかに古い年代を示している。従って、③~⑥の種実が試料として適切だが1620~1720~1840~1920BPと300年幅もあり、バラツキが大き過ぎる(理由は地層の相違や上下地層の撹乱などが考えられるが判然としない)。結論として、この2002年の測定値は箸墓築造時期を判定するデータとして採用するのは危険である。ただ、種実モモ核③④⑤の平均値1727BPは参考値として図6に示しておく。

以上を総合すると、箸墓の炭素14年代は図6の1780BP(木材小枝3点平均)が妥当である。図6から分かるように、1780BPは日本産樹木の較正曲線では3世紀末~4世紀前半が最有力となる。従って、歴博「今回報告」の箸墓240~260年築造説は全くの誤りで、従来通説(年輪年代法登場以前)の290~320年頃築造がほぼ正しい。一方、箸墓は崇神天皇時代に活躍した倭迹迹日百襲姫が埋葬者とされる。崇神の没年を古事記干支のAD318年説に従えば、炭素14年代と総合すると箸墓はAD295~315年頃の築造ということになろう。

図6
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図7
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6 ホケノ山古墳
表7 橿原考古学研究所報告資料(2001年および2008年)
試料報告書試料分類炭素14年代
①HOKENO―1
木棺北側
『ホケノ山古墳調査概報』
2001 今津
木材 炭化木質部1880±50BP
②HOKENO―2
木棺北側
同上
2001 今津
木材 炭化木質部1920±40
③HOKENO―3
木棺北側
同上
2001 今津
木材 炭化木質部1910±40
④HOKENO―4
木棺北側
同上
2001 今津
木材 炭化木質部1940±40
⑤HOKENO―5
木棺北側
同上
2001 今津
木材 炭化木質部1880±40
⑥No.1 木槨内『ホケノ山古墳の研究』
2008 奥山
木材 小枝12年輪1710±20
⑦No.2 木槨内同上
2008 奥山
木材 小枝12年輪1690±20
⑧No.10 木槨内同上
2008 奥山
木材 南西添え柱材2115±20
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【表7の考察】:2001年『ホケノ山古墳調査概報』の試料①~⑤の炭素14年代は平均1904BPで、国際較正曲線で実年代に換算するとAD100年頃の古い年代を示した(図8)。これは、考古学の従来多数説(3世紀末~4世紀初の築造)より約200年も古い。この調査概報では、共伴した画文帯神獣鏡を後漢時代の製造と見なして、ホケノ山築造を3世紀中頃と結論づけた。しかし、当該部分を執筆した今津節生氏は、「木棺の表面は多少なりとも削って成形することが考えられるので、実際の木棺伐採年代は炭素14年代測定値より新しいと予想できる」「炭素14年代測定値の信頼度は、現在の考古学年代の精度(土器や鏡の年代観)からすると、まだまだ不十分であり参考程度にしかならない」とした。

図8
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一方、2008年の最新報告書『ホケノ山古墳の研究』の測定試料⑥⑦⑧について、奥山誠義氏は⑧2115BPは測定した部位が不明で「古木効果」があるとし、データとして棄却した。その上で古木効果を考慮する必要がない小枝2点⑥⑦(最外年輪を含む12年輪)を次のように結論した。

(2001年発表の)木棺については、いずれにしても古木効果を判断する決め手に欠けており、年代値についてはあくまでも参考の値であると考えたい。(今回2008年発表の)小枝については古木効果の影響が低いと考えられるため有効であろうと考えられる。
表8 ホケノ山古墳の炭素14年代(2008年発表)
小枝 No.1
1710±20BP
68.2%確率(1σ)AD260~280年(17.0%)
AD320~390年(51.2%)
95.4%確率(2σ)AD250~400年(95.4%)
小枝 No.2
1690±20BP
68.2%確率(1σ)AD335~400年(68.2%)
95.4%確率(2σ)AD250~300年(13.9%)
AD320~420年(81.5%)
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これは、橿原考古学研究所自らが2001年発表の測定値を「参考程度」と退け、「ホケノ山古墳の築造は3世紀中頃」との結論を否定した重大な意味を持つ。そして最新報告書の「250~420年、中心は4世紀」(表8)は、従来多数説の「3世紀末~4世紀初の築造」とほぼ整合性があり、元に戻ったことになる。そして、同時に出土した布留式土器(小形丸底土器)・銅鏃(新しいタイプ)や画文帯神獣鏡の年代(日本出土は約150面でほとんどは4世紀の古墳から)、また『魏志倭人伝』の「棺有りて槨無し」から見ても、築造は従来多数説の3世紀末~4世紀初(290~320年頃)に近い4世紀前半 と考えられる。

7 結論

以上、「今回報告」を検証した。結論として、

  1. 土器付着炭化物は他素材(木材・種実・骨)より古い測定値が出る傾向が強い事を多くの識者が指摘し、試料として不適切なのは明らかなのに、「今回報告」は依然として土器付着炭化物を中心に判定している。しかも、古い値の出方幅がコンスタントならデータ処理も可能であるが、実際には0~600年幅までバラバラである。そのような不確かなデータをいくら精緻に時系列で並べても砂上の楼閣である。
  2. 今回報告はせっかく木材・種実も測定対象としながら、その結果が十分に反映されていない。すなわち、木材の古木効果を考慮していない。その結果、木材でも古い測定値を採用している。
  3. 歴博は年輪年代法の年代観が正しいことを前提に、炭素14年代が年輪年代と整合性有るとして、「今回報告」で池上曽根遺跡・石塚古墳・勝山古墳の年輪年代を例示している。端的に言えば、「今回報告」は年輪年代の年代観に合わせて土器型式を並べたに過ぎない。しかし、年輪年代法の古代すなわちAD640年以前の測定値は、全て100年古く狂っていることを拙論で指摘済みである。

そして、古墳出現期はおおよそAD300年頃 である。より具体的には、① 石塚古墳がAD280~310年頃 、② 勝山および矢塚古墳はAD290~320年頃の築造 で、年輪年代の100年修正と合致する。一方、③ 箸墓古墳は AD295~315年頃 、また④ ホケノ山古墳はAD300~330年頃の築造 で、 年輪年代法登場以前の従来多数説がほぼ正しい ことが明らかになった。従って、年輪年代法(および連動する炭素14年代法)に基づく 弥生中後期および古墳開始期の100年遡上論は誤り である。

以上