最終更新日:2022/08/31


日本古代史ネットワーク 講演会
古代史の解明!
科学を活用し、方法論を見直すと、
新しい歴史が開けてくる。

蒙古襲来と云う国難は、神風によって一夜で消え去ったと学んできたが、実は、鎌倉武士が日本刀と騎馬によって、上陸作戦中の蒙古軍と戦い、激戦の末に撃ち破ったのが真相。慌てて退避した蒙古軍船が、嵐で遭難。(文永の役:1274年)
科学と数字と数式で見事に解き明かしたのが、「日本史サイエンス」
新しい歴史解明の方法の実例が示された。著者から、じかに、話を聞かせてもらう。

新井白石・本居宣長以来300年、邪馬台国問題は、一向に解決が見えない。
「方位・距離:旅程」だけではない「邪馬台国の探し方」では、三国志の時代背景を学び、同時代の常識を知ることになります。検討すべき要件が判ると、旅程を考える前提も条件も大きく変わる可能性も出てきます。
卑弥呼を訪問した魏の使者一行について、従来は、何人程と想定して、旅程を検討していたのでしょうか?

日時
2022年10月20日(木)
  • ✅ 開場:午後1時15分
  • ✅ 終了:午後4時30分
講演テーマと講師
  • 「日本史サイエンス――蒙古襲来」
    講師:播田安弘(造船エンジニア)
    日本古代史ネットワーク会員
  • 「邪馬台国の探し方」
    講師:丸地三郎(古代史研究家)
    日本古代史ネットワーク会長
会場
日本橋社会教育会館 8Fホール
所在地:〒943-8512
東京都中央区日本橋人形町
1-1-17
定員
200名
参加費
  • 一般:1500円
  • 大学生:500円
  • 中・高校生:無料

※会場受付にてお支払いください。

申し込み
  • メール:info@nihonkodaishi.net
  • ハガキ:〒337-0051
    さいたま市見沼区東大宮
     5-35-1-808 丸地 宛

    ※氏名/住所/電話番号と「古代史の解明!」申込と記載ください。

主催者
日本古代史ネットワーク
日本橋社会教育会館 案内図

(▲クリックすると拡大地図表示)

上野からは日比谷線で、品川駅からは京浜急行品川駅より相互乗り入れ浅草線で、14分人形町下車。
都内は、地下鉄を上手く使うと便利です。


―― 講演内容のご紹介 ――

皆さん ご存知ですか? 「理科系の新書」講談社ブルーバックスから「日本史サイエンス」と云う本が出ていることを!

文永の役・弘安の役、この二度の蒙古襲来と云う国難は、神風によって一夜で消え去ったと学んできましたが、そうでは無かったようです。最初の文永の役では、鎌倉武士が、日本刀と騎馬によって、上陸作戦中の蒙古軍と戦い、激戦の末に撃ち破ったそうです。その結果、慌てて退避した蒙古軍船が、嵐で遭難したとのこと。このストーリーを、科学と数字と数式で見事に解き明かしたのが、この「日本史サイエンス」です。

著者は、造船エンジニアです。日本が造船王国であった時代に、大手造船会社で船舶を実際に設計してきた設計者です。定年退職後も、CAD を駆使して、船舶の設計や解析等を行い、古代船の復元の評価などにも携わってきたバリバリのエンジニアです。こんな面白い本があることを知らせたいと、テレビで有名な「池上彰の推奨する5冊」「岩波文庫の長沼編集長が嫉妬した3冊」として、PRされています。

今回の講演会には、著者の播田安弘さんを招いて、「蒙古襲来」と「日清・日ロの海戦」について話して頂きます。

なお、播田さんは、日本古代史ネットワーク設立以来の会員です。

科学・技術が古い時代の歴史解明にどのように役に立つのか、是非、話を聞いて欲しいと思います。

次のテーマは、「邪馬台国の探し方」

江戸時代以来、沢山の学者や民間人が、真剣に邪馬台国の所在地と卑弥呼について調べてきましたが、未だに結論が出ていません。 九州説であろうと畿内説であろうと、その所在地が、果たして正しいのか? 誰も証明できず、どの説も、今一つ、納得が行きません。

歴史研究の基本に戻り、「方位・距離・位置」だけではない探究の要件を掲げ、解明に近づけたいと考えます。

  1. 魏志倭人伝以外の中国史書の倭人伝/倭国伝の取り扱い。(魏志倭人伝と同等に扱ってよいのか?)
     (歴史研究の基本:「史料批判」=史料の検証の重要性を改めて考えます。)
  2. 魏志倭人伝を正しく理解するのに欠かせないのが、魏の外交情勢
  3. 魏が送った公式使節の規模・人員・目的と、受け入れた倭国側の対応・姿勢
  4. 魏の使節の使用した船舶と「船と航海の常識」
  5. 「王宮に行かず、王に面会しなかった」論・・・・・ 有り得るのか?
  6. 古地図の検討(現代の地図と古代の地形は違う)

1-6の中で、2.の魏の外交情勢については、一つの話として、次の話題を予定しています。

景初2年正月に司馬懿仲達は、公孫淵討伐軍に対して、公孫氏の取る戦略を問われ、次の3つの選択肢を示した。

  • 上策:城を捨てて逃げること
  • 中策:城を出て、遼水を使って魏軍に対抗する
  • 下策:籠城すること

そして、上策はとらないと断言した。

この判断の根拠はどこにあったのか?

魏志/呉志を読み、東西南北の退路を検討し、話します。

日本古代史ネットワークでは、「古代史を解明する会」を毎月開催しています。その中でレポートが行われ、討論を重ねて来ました。その成果を紹介いたします。 誰もが納得する邪馬台国解明の方法が見えて来ます。