最終更新日:2021/03/25

季刊「古代史ネット」第2号(2021年3月)

志賀島(福岡市東区)から出土した「漢委奴國王」の金印(国宝)
志賀島(福岡市東区)から出土した「漢委奴國王」の金印(国宝)

季刊『古代史ネット』編纂委員会編
発行 日本古代史ネットワーク
発行受託 ふくおかアジア文化塾


第2号 目次
  1. 巻頭言……河村哲夫
  2. 年輪年代法の問題点――弥生古墳時代の 100 年遡上論は誤り……鷲崎弘朋
  3. 特集「水行十日陸行一月」をめぐって
    1. (1) 私の「邪馬台国」試論~魏志倭人伝より「邪馬台国」を読み解く~……愛川順一
    2. (2) 魏志倭人伝からみえる私の邪馬台国所在地考……矢野勝英
    3. (3) 「魏志倭人伝」の行程と「水行十日陸行一月」について……塩田泰弘
  4. 弥生時代の開始時期……丸地三郎
  5. 奴国の時代 ①……河村哲夫

巻頭言

河村哲夫

今でも鮮明に覚えている。

平成27(2015)年10月17日から12月13日まで、福岡市博物館において、福岡市などの主催による「新・奴国展」が開催された。

福岡市が政令指定都市になったのを記念して開催された第1回目の「奴国展」から約40年ぶりということで、「新・奴国展」と命名された。

会場には、伊都国・奴国など北部九州のクニグニから出土した銅鏡・銅剣や土器など、弥生時代を代表する出土物の数々が展示されていた。

圧倒的な迫力であった。

ところが、そのきらびやかなコーナの一角に、特別の区画が設けられていた。

奴国とは縁もゆかりもない奈良県の「纏向遺跡」のコーナであった。

木製の仮面や建物遺構らしき写真など、いかにもみすぼらしい展示物であった。

前漢鏡や後漢鏡など中国・朝鮮半島との交流を誇示する九州の出土物のなかにあって、土俗的な木製の仮面と1枚の写真が、いかにも場違いで、異様な不協和音を奏でていた。何ゆえ、奴国展のなかで邪馬台国近畿説を喧伝しなければならないのか。

「これは、国(文化庁)の意向なのか、福岡市(教育委員会)の意向なのか」

違和感――というより小さな怒りを感じながら、次のコーナに向かったことを覚えている。

この「新・奴国展」の開催期間中の11月8日に、福岡市博物館において、「金印論争終結!?」なるシンポジウムが開催された。

このシンポジウムを予告する福岡市博物館学芸員のブログ記事は次のようなものであった。

さて、今週の日曜日(11月8日)には、もう1つシンポジウムを開催します。タイトルは『金印論争終結!?』

国宝金印『漢委奴国王』には、さまざまな謎があり、論争が繰り返されてきました。

印文についても、博物館では現在のところ「かんの わの なの こく おう」と読んでいますが、これにも異論が存在しています。

近年、盛り上がりをみせていたのが「金印ニセモノ説」。

きっかけは、2006年、三浦佑之さんが著された『金印偽造事件「漢委奴國王」のまぼろし』という本が、幻冬舎新書の1冊として出版されたことでしょう。

刊行された当初は博物館最寄りの西新の本屋さんでも平積みになってましたっけ…。

そして、2013年には、「週刊新潮」(4月25日号)の特別読物「歴史教科書に書いていない『国宝』の史実誤認と偽物疑惑」というセンセーショナルなタイトルの記事に、大々的(?)に取り上げられました。

このときは、当館へも取材が。意見をきかれた考古担当の学芸員
「当博物館では、各根拠を総合的に考えて金印を本物と扱っていますが、ひとつひとつの根拠はフワフワとしていて、偽作説が出るのも当然だと思っています。まだ研究の途上にあるもと考えています。」―上記記事より引用

と、こたえております。…なんとも淡々とした態度。

淡々としながらも、博物館は、ほんものVSニセモノの熱い議論に対して、できるだけフェアに、そして多くの資料を提供し、また、金印についての調査研究もこつこつと積み上げてきました。

「フワフワ」じゃない「かっちり」した根拠となるものを求めてきたのです。

その成果を、大々的にご紹介するのが、11月8日のシンポジウムです。

基調講演は、明治大学教授の石川日出志氏「金印論争終結宣言―複眼的資料論から―」

このブログ記事についても、妙な違和感を覚えた。

とりわけ、「ひとつひとつの根拠はフワフワとしていて、偽作説が出るのも当然だと思っています」というくだりである。

金印は江戸時代に志賀島(福岡市東区)から発見され、福岡藩主黒田家の所蔵となり、明治維新後、東京国立博物館に寄託された。

昭和6(1931)年に国宝保存法に基づき国宝に指定され、昭和29(1954)年に改めて文化財保護法に基づく国宝に指定された。

その後、昭和53(1978)年に黒田家から福岡市に寄贈され、現在、福岡市博物館で保管・展示されている。

ところが、国宝たる金印の管理主体である福岡市博物館の学芸員が、
「ひとつひとつの根拠はフワフワとしていて、偽作説が出るのも当然だと思っています」
と述べているのである。

福岡市(教育委員会)の公式見解はもちろん金印真正説であるが、現場の学芸員は、どうもそうではないような雰囲気を漂わせている。

国宝たる金印の価値を守り抜くという気概が、まったく感じられない。

もちろん、シンポジウムの基調講演をおこなった明治大学文学部教授の石川日出志氏は、
「金の純度は90パーセント以上」
「『漢委奴國王』の字体が東漢(後漢)初期の特徴をしめしている」
などの理由により、真正な金印であると断定された。

これに対して、福岡市博物館は、平成30(2018)年1月21日に、今度は、
「『漢委奴国王」金印を語る~真贋論争公開討論~」
なるシンポジウムを開催した。

真正説の石川日出志氏に対して、贋作説の急先鋒であるNPO・工芸文化研究所の鈴木勉理事長と、千葉大学の三浦佑之名誉教授の二人を招いて対峙させたのである。

もちろん、結果は平行線のままであり、福岡市博物館館長の有馬 学氏は
「歴史的な価値が確定したかのように思われている資料でさえ、さまざまな見方ができ、学問的な根拠がぶつかっている。こうした議論があることを多くの方に知ってもらうことで、文化遺産についての理解が一層深まると思います」
などと、きわめて太っ腹の姿勢をしめされていたが、国宝たる金印を預かる管理主体みずからが、贋作説の広報・普及・宣伝活動をおこなっているかのような違和感を覚えてならなかった。

「新・奴国展」でみた「纏向遺跡」への違和感とも共通する。

考えてみれば、考古学というものが、この50年の間に、わが国の文化財行政のなかにしっかりと組み込まれ、国・都道府県・市町村と系列化され、組織化され、大学、研究機関、行政の相互連携が進み、考古学の分野で、特定の価値観――邪馬台国近畿説を含めて、共有されつつあるという時代の流れが顕著になっている。

考古学の重鎮といわれる人のほとんどが、邪馬台国近畿説で占められている。

考古学関係者のなかに、近畿説に傾く人が多いのもうなずける。

福岡市博物館で抱いた違和感も、その氷山の一角なのであろう。

福岡県内のとある市の文化財保護課の学芸員が、
「あいにくですが、私は近畿説です。そういう立場から説明させていただきます」
と、現場で堂々と宣言されたので、唖然としたこともある。

このような時代の流れに対して、古代史の分野におけるオンブズマンとしての機能を果たす。――このこともまた、われわれ日本古代史ネットワークの大きな使命の一つであろう。

国立歴史民俗博物館や奈良文化財研究所の研究員などによる「炭素十四年代測定法」や「年輪年代法」によって、あれよ、あれよという間に、弥生時代のはじまりや前方後円墳の発生時期がどんどん古い時代に遡っている。

とりわけ、「年輪年代法」について、その手法の有効性や精度などについて、第三者機関の公正で客観的な検証が行われないまま、その結果だけが一人歩きしている。

そうして、どういうわけか、常に「近畿説」を補強し、あるいは日本の古代史をより古くみせるために奉仕している。

「旧石器捏造事件」に次ぐ、第二の「ゴッドハンド」事件とならないよう切に祈っている。

日本古代史ネットワークとして、近々、国立文化財機構に対して、「年輪年代法」に関する情報公開を求めることを予告しておきたい。